イガイガボン

出版の(株)iga

あまりにも、あまりにも(悪人正機の悪悪悪)3

without comments

◆法然上人伝

大正時代、醍醐寺出発見されたため、醍醐本ともいわれる江戸時代の写本。
おそらくは時代時代には相当数が筆写されたのだろうが、
残存するのはこの1冊だけ。
嘆異抄の写本、26冊に比べると1冊とは余りにさびしい。

何しろ長大、嘆異抄の優に10倍以上はある。
簡単には書き写すことができない。
おまけに全体が漢語で書かれているので、読みにくい。

師の法然の選択集にしろ、嘆異抄にしろ、誰でもが読めるよう
和語で書かれているのにおかしなことである。
わざと読みにくくしたのではないか。
あまりに出回らぬようと意図してのことではないか?

この源智、たとえ集会を開いたとしても
数人以上となると、多すぎるとして、集会を取りやめたらしい。
ひたすら念仏の人であったというから、
大人しいだけの内気な人の印象だが、
それでは信徒48000人を掌握できるはずがない。

源智は教義について話したくなかったのではないか?
例えば「法然様のこれについてどうおっしゃってましたか?」と聞かれたとしても
「私は念仏だけ、そういうことは存じません、」と答えていたのではないか?
これでは判りたくとも手の打ちようがない。

しかし一切を話したとして誰が理解できるだろう。
教義をよくよく知悉するだけに、集会などで
ふと漏れるのを回避しようとしたかと思われる、
とにかく彼が書き取った法然教義、尋常なものではなかったからだ、
 


 
 
◆上人伝構成

法然上人伝は生涯の行状を記録すると共に、
3つの法語集の記録しているが、うちの最後に収録された
27箇条の法語の中に問題の「善人のなおもて……」が記録されている。

成立は1207年、法然75歳、土佐への配流直前主のと推測されている。
すでに安楽などの死罪も確定、
周辺は大混乱のこの前後を記録したものが残されているのだが、
法然が話に僧たちは驚いて、そんな事はおっしゃってはいけませんと
皆で法然を制したというのだ。

中に一人進み出て熱心に聞いて書き取った者がいるらしい。
おそらくこれが源智だろう。
おそらくは彼は、危険とも奇怪ともしなかったのだろう。
その言葉の真の意味を瞬時に理解、是非とも残すべき法然の至言とみたのだ。
弱冠25才、そうでなければ、先輩年配の高弟たちに反してまでのことをするはすがない。

さて、この27箇条、まず前半にある一文である。

この宗は、悪人を手本となし、善人まで摂す

 
ただ驚くほかはない。どう訳したらいいのか。
……浄土宗は悪人を人のあるべき手本なして、善人をも救済する
仏僧むけとしてはこう訳すべきか?

摂す、は仏教では救済するという意味。
政治の世界では、摂政として、支配し統率するという意味になる。
後者をとると、悪人が善人をも統率する……という意味にもなるのだろうか。

悪人は、自身の悪を見抜く視力を持った人、
または正直にに自分の悪をさらけ出す人、とかの解釈をつけ加えて、
何とか少々は理解するとしてもなんとも奇怪な説である。

そして最後が「善人なおもて……」を表題として一文。
法然の言葉はこの表題だけ。
表題の次が「私云」つまり「私に言う」。
こう断って源智が自身の見解を加えている。

……お阿弥陀様は踏み惑う悪人に的を絞って
まずは悪人を救おうなさってる説である。
だからもし善人が極楽に行くというなら、
阿弥陀様が救おうとなさってる悪人が行かないなずがない、
まずは悪人の極楽行きが先である……

Written by イガイガボン

at

Posted in 雑記

Tagged with ,

山岡遊主宰「詩の虚言朗読会」最終回を終えて

without comments

2013年から開催されてきた、
山岡遊 主宰「詩の虚言朗読会」は
本年4月1日、第9回目をもって最終回となった。

分かりやすい詩、かなり砕けた詩編が中心。
ダイナミックな朗読で、毎回盛況、
自由奔放、にぎやかな展開で場内を沸かせた。
終演の理由は、山岡遊氏が故郷土佐の高知への帰還のため。

私は加藤温子さんの紹介で山岡氏を知った。
温子さん曰く、
「どういう場合も彼は正しい。彼は誠実だ。彼は間違わない」

私はそうは思わない。
山岡遊は、しょっちゅう間違え、
四六時中騙され、そして泣いてる。

つまり彼はいつも青春時代ってことだ。
飽きもせず、懲りもせず、青春時代ってことだ。

最終回で面白かったのは、
井川博年「ゴシップ歌謡曲」と
山岡遊のギター弾き語りで「ろくでなしのラブソング」の2編。
 


 
ゴシップ歌謡曲  井川博年

青江三奈は哀しい。いつ見ても同じ髪型。金粉や銀粉が光る不思議な髪。寝る時も首にガーゼを巻くというその心がけも哀し、

藤圭子は哀し。盲目の母がいるという。さすらい流れた幼い日々があるという。川端康成がテレビで見て、会いたいというので、鎌倉の川端邸で、肩たたきをしたという。その話もまた哀し。

こまどり姉妹は哀し。再起の望みのない病とか。疲れた厚化粧と,良ければよいほど目立つ着物と、「見る度に不快だ」という学生が多かったのも哀し。人情紙のごとし。浅草も哀し。

淡谷のり子も哀し。わが友Iがアルバイトで楽屋にコーヒーを届けると、女史が老眼鏡をかけ一人毛糸の編み物をしていたという。女史の手元の毛糸の色哀し。

都はるみも哀し。こども時から歌をうまく歌えぬと、おやつももられなかったという。うなり声と小節を出すのに何度も喉をつぶしたという。最上級の着物も哀し。

菅原ツヅ子も哀し。あの奇妙な節まわし。古賀政男の養女になっていたというのも哀し。菅原ツヅ子を養女にした古賀先生の孤独も哀し。

美空ひばりも哀し。奇抜な服装と、一筋の涙。天才は哀し。音符が読めないという話も哀し。自ら下手な作詞をするのがさらに哀し。足の痛みをこらえて舞台に立つ最後の日々の昼食は、ショーチューとチャーシューメンだったという。ああショーチューとチャーシューメン。

 


 
ろくでなしのラブソング  山岡遊

 


Written by イガイガボン

at

Posted in 雑記

Tagged with ,

イガイガ本ニュ-ス【新刊2冊のお知らせ】

without comments

2017.4.1

■魚野真美・第一詩集『天牛蟲』(かみきりむし)

大阪の詩誌『Lyric Jungle』(編集:平居謙)で活躍中の若手詩人、魚野真美。
商都大坂を踏みしだいてダイナミックに開花している。
添付の挿し絵は詩篇「じん、じん、騒ぐ」から。
花が窓辺を飛び出し、ジンジン突き進んで行く……

首を吊った花
窓辺でかわいて
落ちる
・・・・中略・・・・
外へ
飛び出してゆき
飛び出してゆき
ゆきゆきて

じん、じん、
騒ぐ
     「じん、じん、騒ぐ」から

 
 
枯れた花までも元気、いいことではないか。

「大大阪純情飴雨アラレ」
「酩酊ユニバース」
「三角地帯に勇み立つ日まで」
等々
商都大阪の息吹が迫って圧巻。

 
 
 


 
 
■阿賀猥・エッセイ集『あまりにも、あまりにも』5月刊行予定

フーバー回顧録から

F・ルーズヴェルト

法然の高弟 源智

勢観房源智上人 知恩寺蔵




阿賀猥のエッセイ「詩学」連載のものから1編。
対談本『ドラゴン in the Sea』刊行後に開示された新資料で
日米開戦の裏事情を紹介する2編など。

たとえばフランクリン・ルーズヴェルト。
民主主義の旗手のようなもて方だが、実は彼は、
よほど以前から日米開戦を策謀してきた「殺人狂」とする
アメリカ31代大統領フーバー回顧録を紹介。
『ドラゴン in the Sea』上巻、真珠湾攻撃の裏事情を補強する。

ルーズベルトは稀なる美形。
人権論者の夫人のほかに数名の愛人がいた。
これは鎌倉仏教、法然にいう「内心と外相の不調」の典型的な例。
内心と外見は真逆のときが多い。
美男美女は危険ということか?

さほどの美男ではなかったが、
普遍的な正義を言い募ったヒトラーといい、
きれいごと、きれいなイデオロギーが席巻したのが20世紀。
世界中が正義やら良心やらに目覚めて走り出してしまった。
共産主義にしろナチスの思想にしろ良心にもとずいて、よき社会を目指したもの。
だがあまりにもの虐殺。
ソ連の虐殺被害者はナチス犠牲者の10倍以上にものぼる。
これをどう解釈すればいいのか?

このあたりもかの法然が有効だ。
一枚起請文「観念にあらず学問にあらず」と
正義、ないし善、良心など観念の一切を一刀両断に糾弾する法然思想。

戦後日本詩の情念の基幹でもある良心だが、
法然流にメスを入れざるをえないのではないか?
法然教理、普通に見れば、奇怪、不可思議にも見えるが、
今世紀おそらくは22世紀、23世紀へも直進、有効に稼動出来うる哲理かとも思われる。

あまりにもあまりにもの過激な教理に、口を閉じよと師を制する弟子たち、
「皆様、法然様のいうことは聞いてはいけません」と言い立てる者もいる。
「いや私は首を斬られてもいい、これだけは言っておきたい」と法然……
騒然とする中にただ一人進み出てしっかりと記録していく勢観房源智。

本稿では、若き法然高弟、源智にスポットをあて、源智の側から法然を探って行く。

あまりにも、あまりにも(悪人正機の悪悪悪)2

without comments

■勢観坊源智

勢観房源智は、元々は平清盛の嫡男、重盛の孫。
まず天台宗座主慈円もとで、出家得度したのち法然のもとに入室。
以後法然の死まで18年、法然に近侍して法然に学び、仕えた人物。

天台座主慈円は時の権力者九条兼実の実弟。
平家の遺児が生き延びるのは至難の時代、
源氏の探索を逃れるためにまずは法然、慈円に頼ったのだろう。

源智の祖父、平重盛は英明かつ勇猛な清盛の後継者として
一門の期待を一身に集めた人だが、途中で病死。
もし彼が壮健であったなら、とつい思わずにはいられない。

ああまでのあっけない滅亡には突入しないままに、
平家は永続、源智も政治の中心にあって
活躍していたのではないだろうか?

ついそう思わずにはいられないほどの源智なのだ。
特に法然死後。建立された寺の規模とその数の多さ。
法然建立として、源智の名前は出さないのものの法然死後の建立、
源智の建設による、広大は知恩院、百万遍地恩寺、金戒光光明寺……
いったいこの費用は誰が出したのか?
観光見物のつもりがつい気になって、訊ねてみたりした。

政府の援助ではない、全国の信徒が出しているのだ……と寺は胸を張るが、
京阪神だけでなく、南は九州から近畿まで
全国の信徒園数数万人を統括していたのがこの源智、その辣腕に驚く他はない。
だが遠い国にながされ、布教さえままならない、
いわば半ばは罪人であった法然に惜しみなく、
自身の富をつぎ込んだ信徒たち……
源智の辣腕もさることながら
法然教義への絶対の共感がまずは基盤だろう。
ここで、また法然教理、
その奇怪なまでの核心、「悪人正機」に戻りたい。

善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

 
悪人が善人よりいいとはどういうことなのか。
この悪人正機、親鸞ではなく法然が言ったとしたら話は違ってくる。
以下法然の選択集の一文で明解ではないか?

謂はく内心と外相と不調の意なり。即ちこれ外は智、内は愚なり。
善とは悪に対するの辞なり。謂はく外はこれ善、内は即ち悪なり。

 
正式には選択本願念仏宗という。太政大臣九条兼実の要請で作成されたもの。読んで字の如しで、いちいちの説明は不要かもしれまいが、
……外見(外相)とその人の内心は同じではない(不調)。たとえば外見が智恵(智)
あるようなに見えるひとは案外に愚かな人の場合が多い。善悪についても同じ。
善と悪は相対してあるものだ。外側が善である人、つまり善人として振る舞う人は、
内心はというと、悪心でいっぱいとなる。

いち早く深層心理学。無意識の動きを言っている。
外側が善、菩提心満載の善人になれたって事は、
腹の中にどす黒い悪を隠したって事で、代わりにお腹の中は真っ黒。
そんな嘘つきのどこがいいのかってなる。
それよりか、お腹の中を丸出しの悪人が良いに決まってる……。

日常体験することも多いのではないか?
法然は実践の人。
飢えた人には、お粥を配っていた絵図が残されている。
そこらの皆が実際に役立つ論理を言うのだ。

突然訪れた人にどう対処したらいいのか?
満面の笑みで、甘い未来の夢を語る優しい人、まさに善人。
その人を信じていいのか?いや、それは悪者。オレオレ詐欺。
ごっそり持って行かれるよ。と法然はいうのである。

教説ではない。
善人悪人、二人の生身の人間を前において、
どう判断するかを言うのだ。

だがこの実利優先の論理は、ずばり私たちの深奥に直進。
20世紀、21世紀までも貫通する私たちの精神の核の部分を切り開いていく。
「善と悪は同一のもの」……
それは一人の人の中にあい並んで、あるものなのだ。
互いに排斥することもなく、相互に必須不可欠のものとして、作動していく。
善は必ずその内部に悪を内包し、悪もまた内部に善をかかえもつ、
善と悪、それらはその存立の基本要因として、その内部に相反するものを抱え持つのだ。

私たちは、私たち自身を知らない、私たちの裏側にすむもう一人の私。
それがどう思い、どう動いていくのか、知ることができない……
20世紀初頭、フロイトが開始した深層心理学である。
法然はすでにこの世界を生きていたのではないか?

自身を天使なりと言いつのったままに処刑されたナチス幹部もいる。
品行方正、清冽な正義を目指し、全ての人を魅了した彼の上司アドルフヒトラー。
そして彼が行った残酷の数々。
彼も悪鬼としての自身には気付かないままに天使として生を終えたのではないか?

遙か遠い過去から法然は彼らをしっかりと分析、
善人の恐ろしさを、悪人よりいっそうに恐ろしい人としての善人を思ったのだ。
これらは現実にその人を並べてみればわかるのだが。
教義として論理として内心と外相。
この論理「外相と内心」を理解できる人がいたろうか?
まずは「善人なおもて往生す……」これを収録した法然上人伝が厄介だ。

Written by イガイガボン

at

Posted in 雑記

Tagged with , , ,

最終回・虚言朗読会『背走する太鼓』告知

without comments


 
 
ついに最終回を迎える詩の虚言朗読会。
最終テーマは
『背走する太鼓』
 


 
出演
阿賀猥
杉本真維子
山岡遊
X(謎の詩人?)

オープンマイク大歓迎!!
 


 
開催日時
2017年4月1日(土)
午後6時・開演

 
会費
2000円(1ドリンク付き)
 
 
会場
カフェ・ギャラリー・シャイン
ライブ会場としても40年の歴史を持つ、老舗カフェです。
 
〒330-0071
さいたま市浦和区上木崎1-9-20
Tel 048-833-1045


 
京浜東北線・与野駅
西口から左へ駅沿いに進むと、
レンガ造りの建物がございます。
「SHINE」の看板が目印です。
徒歩30秒ぐらいの距離です。
 
武蔵野線でお越しの際は「南浦和」から
京浜東北線(浦和・さいたま新都心・大宮方面)にお乗り換えください。


 
 
ご来場、心からお待ちしております!
 
 


連絡先 彩の国夢探偵団・山岡
(携帯)080-5060-2529
(自宅)048-822-2529

Written by イガイガボン

at

Posted in 雑記

Tagged with , , ,

あまりにも、あまりにも(悪人正機の悪悪悪)1

without comments

悪人正機説もまるで知らなかったわけではない。
これをおさめた嘆異抄とやらが、またまた名著の由、
聞き知ってはいたのだが、最近まで読んだことがなかった。
顔のせいだ。
問題は親鸞の顔。こんな顔の奴がまともな事を言うはずがない、
こう思ってページはめくらないまま。

親鸞といえば普通にはよほど歳を食ってからの顔、
それも簡単な素描のものばかり。

全体もぼけていてよく分からない。
浄土真宗側が隠しているのではないか?とつい疑ってしまうが、
30代、40代、壮年期の顔が描かれたのは見たことがない。

90歳の最晩年までガンガン書き連ねた親鸞、
何歳になろうがモーロクのはずはないが、
それでもなんとかモーロクを待って、やっと描かれた肖像画、
やっとボケかかって、なんとか大人しくなられたときの顔……
それだけが出回って欲しい……こういう思惑での肖像画とか?

だが彫刻はそこここ残っている。
九州のはずれ、とかこんな所に?という
ひなびたお寺にあったりしてびっくりする。

近い所では千葉は佐貫。
内房線の「さぬき駅」(正式駅名は佐貫町駅)で下車。バスで1時間の神野寺。
虎が逃げ出して有名になった寺だ。
いまは真言宗だがその昔は浄土真宗。
親鸞が滞在して自身で彫った座像が残っている。

はじめは気がつかなかった。
このあたりの豪族か?このあたりにも戦国大名、
異名はマムシの斉藤道三、
そんなような男がいたんだな、思いながら眺めていた。

眼光ケイケイ、怒気をはらんでにらみつけ、
今にも飛びかからんばかり。
受付でこれが親鸞と聞いてもしばらくは信じられなかった。
宗教家のかおではない、山賊、海賊、強盗の顔である。

まさか、この男、自分のような悪漢が正しい、
あんたらみたいな美人さんより、
またそこらのお偉いさんより正しいとか言っているのではないか?
まさかとは思うがたまにそういうずうずうしいのがいる。
……なんとなんと結局はこの「まさか」だったのか?

==============================

まずは悪人正機説、これは以下である。

善人なおもて往生す、いわんや悪人おや

 
大変に有名な一文だが、この意味となるとまず大半がお手上げ。
大半が分からないという。

往生というのは極楽往生のこと。
直訳すると、

「善人でさえ極楽に行くことができるのですから、悪人ならまず大丈夫。間違いなく極楽に行きますす」となる。

悪人は死んだら地獄とおもっていたら、なんと極楽に行くというのだ。
悪人の方が、善人より先。
まず一番に極楽に行くというのだ。
つまり、悪人の方が善人より正しい、としているのだ。

こういう説は他には見当たらない。
外国にもないのではないか?
善と悪との身分を逆転させてしまっているのだ。

歎異抄は危険として長く公開されなかったのも、
この部分のためか?ともおもわれるが、
なぜ悪人の方が善人より、いいのか?
これが分からない。

めでたく成仏、極楽についた思ったら、
石川五右衛門やらアルカポネやらすごいのがゾロリとなると困るではないか!
だれがこんな厄介なことをいったのか?
親鸞という説と法然という説の2説がある。
今まではずっと親鸞の説とされてきたもの。まずは親鸞を探った。

それらしいことはモヤモヤと幾分か書いてあるようで、
この嘆異抄からは、しかとは掴めなかった。
どこか他に詳しく理由を書いているはずと、親鸞の文書を隈無く探した。

膨大な教行信証4巻、何でもかんでも書きまくる親鸞のこと、
その中に書いているるはずだ……ところが、結局なかったのだ。

善人については、書いている。
善人は余りに汚いと罵倒しているがその理由、なぜ汚いかは書かれていない。
悪人はなぜ善人より立派なのか?
その理由を親鸞からは見つけることができなかった。
ひょっとして親鸞、その理由は分からなかったのではないか?

たとえ法然師匠にだまされたとしても、かまわない。
法然師匠についていくと言う歎異抄のちょうどこの前の2章にある。
法然の教説とはいえ、中にはよく分からない教理、
ピンとこない教説もあったのだろう。
この悪人正機あたりもそうではなかったか?

最近では、悪人正機は法然の説とするのが普通。
法然の高弟源智の「法然上人伝」に同じ文が
法然の発言として記載されていたからだ。

これは歎異抄より50年も前のもの。
作者の源智は幼き日から終始法然のもとにあった人物。
おそらくは源智が法然から聞き取って書きしるし。
それを親鸞など、だれかれが写し取っていったのだろう。

法然絶筆、一文起請文はこの源智の要請で書かれたもので、
法然はその2日後に死亡している。

息も絶え絶えの法然を無理無理たたき起こし、書かせたのだ。
それまで冷酷な人と反感を持っていたのだがなぜか画像を見てすべて氷解した。

画像は京都百万遍知恩寺の奥、分厚いコンクリート壁の蔵の中にある。
この人は法然を熟知している。
ひょっとして法然以上に熟知していたのではないか。
法然を愛し法然を守り、その死後までも守り続け……
そういう人物ではなかったか。

地恩寺境内の奥で、墨染め粗衣をまとって
半ばほほえんだままに700年を経た源智。
ただの画像である。
小さな軸の絵でしかないが、
いまだ生命を持ったままの人物として、微笑んでいらっしゃる……。

その細い穏やかな目から、全てを射抜くかに見える眼光を発し続ける源智画像、
叡智はこんなにも暖かく幸せなものであったのかと不思議に思った。

Written by イガイガボン

at

Posted in 雑記

Tagged with , , ,