イガイガボン

出版の(株)iga

絵画展示場にお客様。

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イガイガランド展示場に、今期開場前からお客様。
美術家、横尾忠則氏。

屋外壁絵と、室内展示の戸沢美穂子作品に注目されました。


「朝」戸沢美穂子 油絵

軽井沢は森林キャンプ場、イガイガランド、今期開場6月25日より!
皆様のお越しをお待ちしております!!

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イガイガランド・壁画完成

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キャンプ場 イガイガランドは今期開園に向け、着々と準備進行中です。

ついに、アート展示場外壁に大迫力の大作壁画が完成しました。
デッキ、喫茶コーナーからゆっくり観賞できます。

2018年6月25日より公開します。

旅の疲れを癒しつつ、ぜひご覧になってください。

斉藤 雄紀「青騎士の考察」
◆フランツ・マルク(ドイツ 1880~1916)「修道院の庭の鹿」より着想

写真は斉藤 雄紀氏。
厳寒苛酷な北軽井沢で艱難辛苦、越冬しての制作でした。

また、屋外制作のため、
気まぐれな軽井沢山中の天候を見極めながら
着色していくという困難な作業でした。

壁画中央やや右よりに鹿がいます。
アレンジ元の「修道院の庭の鹿」からの引用です。

左側には黒いこうもりがいます。
斉藤氏のアレンジです。

「今回の経験を今後に活かします」と斉藤氏。

今年の夏も、イガイガランドは皆さまのお越しをお待ちしております!

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新刊『民主主義の穴 ―法然からトランプまで―』

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著者:阿賀猥
 
出版:(株)iga
販売:(株)星雲社
発行:2018年1月
判型:A5 207P
ISBN 978-4-434-24035-5
C0095 ¥1100E
 
定価1,100円+税


 
 

正義の穴、
 
理念の穴
 
感性の穴、
 
世界の穴
 
 
穴の中の民主主義


 
 
 
民主主義? 共産主義? そんなものに頓着するだろうか。
甘い甘い麻薬のように甘美なルーズベルトの民主主義、万人がとろけても彼はとろけない。

裏切られた果てに倒れた遺伝子学者ロザリンド、悪罵を受け撃沈した天才マンデヴィル・・・
彼らを抱き取ろうと時空を越えて翔ける法然と源智、傑作マンガもそえて送る世界の裏歴史。
 
 


 
 
S・Kさま
法然と親鸞の「悪人がまっさきに極楽にゆく。ましてや善人は」という思想の面白さ。
文体とても読みやすく、通勤電車で他の乗客が「いったいどんな本を読んでいるのだろう」と不思議な視線。
ひとりで読むのはもったいないので、友人に貸出中。


 
日原正彦さま
まことに痛快、これほど面白い書は最近読んだことがない。
ええ、そうだったのかと目から鱗のことが次から次へと書かれていて爽快に溜飲が下がる書。


 

もくじ

 

  1. 東尋坊からヒラリ
    ―神尾和寿さんのとても変な詩―
  2.  

  3. カランカランの貝の声
    ―シュピールラインとヤマトナデシコ―
  4.  

  5. ちゃらんぽらん幽霊
    ―W・バロウズと八百万の神―
  6.  

  7. あまりにも、あまりにも
    ―源智の悪人正機―
  8.  

  9. 嘘と嵯峨信之
    ―秘められた女性遍歴―
  10.  

  11. オーッ!アダム・スミス
    ―ずるいスミスと天才マンデヴィル―
  12.  

  13. トランプさん、こんにちわ!
    ―民主主義の穴―


 

 
 

 

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新刊『民主主義の穴』嵯峨信之と芥川龍之介

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現在制作中の新刊『民主主義の穴』から
嵯峨信之氏についての部分をご紹介いたします。
 
 
「嘘と嵯峨信之 ―秘められた女性遍歴―」


 

――好きよといって
ぼくの小さな肩にやさしく顔をしずめた
女は十六才、ぼくは十五才だった

その夜台風と大津波に襲われてなにもかも一瞬に消え失せてしまった
砂村の家も小さな恋も時のすべても

夜半三十九度の発熱にひとり耐えている
湖の上を
水鳥の群れが音もなく舞い下りはげしく羽搏いて舞い上がったりしている
どこかへフルートの音が消えていく

ラジオのスイッチを切る
不眠のままいつしか外が明るくなっている
七十年――白い水脈のように時の一すじがつづく

 
 
これは嵯峨信之氏の最後の詩集『小詩無辺』から。
十五歳と十六歳の嵐の一夜、見事だ。
結婚歴三回、華やかな氏の女性遍歴の初陣を垣間見る一編だ。
十五歳だから、まだ宮中放校処分の前、この彼女は宮崎の女性だろう。

まさにセンダンは双葉よりカンバシと期待したいところだが、その点では、ガックリくる。
女性遍歴どころか、「女性」を扱ったものさえこれ以外はゼロなのだ。

死の直前まで詩作成者としてもまた詩集出版社「詩学」の経営者としても辣腕をふるった方、
様々な逸話が沢山の方々に語られているが、今回は誰にも語られていない、
自身も決して漏らされることのなかった氏の女性遍歴の一コマを、書いておきたい。

というのもあまりにたびたびその話しをされたからだ。
書き残して欲しいということでもあったのではないか?

<中略>

二十一歳で当時は発足間もない文藝春秋社に入社、
菊池寛に従って若手作家の育成に驀進された。
「これからは宣伝の時代だ。ガンガン写真をとってまずお前たちを有名にしたい。」
菊池寛が、ある日カメラマンを引き連れてきて、こうのたまうと、芥川龍之介が興奮、
突然下駄のままで近くの松の木に、駆け上って「さあ、撮れ、今、俺をとれ!」 と叫んだ……。

<中略>

詩はどこをさまよい歩くのか
自分に帰るために、自分から遠ざかるために…」
    (詩集『開かれる日、閉ざされる日』)

 
 
福岡の詩人兼評論家の樋口伸子さんが「シャイな遅咲きの詩人」と題して嵯峨信之を論じた評の冒頭である。
ヨーロッパ翻訳ものを中心に書評にエッセイに健筆をふるう樋口伸子氏、
悠揚迫まらぬ穏やかな筆致のなかに、含羞の人、嵯峨信之の姿がほいっとあらわれ、それから怒ったようにそっぽを向く。

なぜそっぽを向くのか?
なぜ口をへの字に曲げて、一言も発しないのか?
照れているのか?「自分から遠ざか」りたいのか?
それだけではないと思う。そこにそのあたりに彼の秘密、彼が死守する秘密があったり、ではなかったか。


(2008年7月、樋口氏と。富津にて)

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あまりにも、あまりにも(悪人正機の悪悪悪)7

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◆ソ連マルキシズム

万民平等を実現させたのかもしれないが、
処刑者数は1000万人以上と推定されている。
誰もがたたえる正しい思想であったずが、正しければ殺してもいいのか?

ナチスの思想も同じ、良心が起点。
よき社会。清浄な社会を目指し、
清浄でない者たちの殲滅を目指した。
600万人のユダヤ人を殺害している。
おびただしい殺人と底知れぬ不幸、
法然は、600年700年先の私たちの不幸が見えていたのではないか?
 

◆あまりにもあまりにもの悪人

悪人正機は人間みな悪人、これが前提である。
ともあれ悪人、万事悪人が法然教説である。
悪人でなければはなしにならない。
あまりにもあまりにもの悪人づくし何が分からないといって、
これが合点いかない人も多いのではないか?

仏教流に殺傷厳禁といっても、
最近はほとんどの人が殺傷とは無縁に暮らせるようになった。
殺すとしても蚊程度か?
一億総善人化、めでたいことである。
だが法然、親鸞に言わせるとめでたいどころではないのだ。
私たちは皆、見るもおぞましいものになっているということだ。

自身を見抜く感性なしの鈍感人間。
見抜いたとしてもそ知らぬふりで善人を装う卑劣漢。
つまり嘘つき……こういうのがゾロリ一億。
ああ、こんなことではいずれ災厄が……と怖がった方がいいのかもしれない。

言うな喋るなと制止される中を
法然は、いや、たとえこれで死刑になったとしても
これだけは言っておきたい……こう言ったとある。
災厄を防止したいとのおもいからではなかったか。
何か遠い私たちの未来に起こる災厄の根のようなものをみていたのではないか?

まずは「人は悪人」。
これは元々は中国は6世紀の人。
仏僧善導が言い出したこと。
私は悪人なりと、徹頭徹尾の悪人なり、と
終始わめき立てたてていたのだ。

善導にかかるとあれをしてもこれをしても悪人となるわけで、
女などは見ただけでもいけないのである。
こんな馬鹿者は中国広しといえど誰も相手にしないわけで、
宗派を作ることもなくて生涯を終えたのであるが、
こんな男に一人寄っていった者がある。
それが本邦日本国の法然。
なぜか?なぜそんな変わり者にひかれたのか?

彼もまた悪人だったからだ。
生まれたときからの生粋の悪人だったからだ。
容貌は親鸞の逆。
福徳円満、終始ほほえんでおられたらしい。
だが内心はどうだったのか?

彼は今で言うと兵庫県の出身。
横領子の息子。
5歳の時に父親を面前で斬殺されている。
下手人は何のとがめも受けてはいない。
父親は、悪人として断罪、処分されやということか?
仏門にはいるが、父を殺めた者たちへの
怒りと恨みは、瞬時も消えるはずはない。

「善人なおもて往生……」。
まずなにはともあれ、この父親を成仏させなければならなかった。
苦しんでいる極悪心重の人をまずは一番に往生させたい、
法然の悲願でもあっただろう。

そしてこの「悪」、
父から子へと連なる悪、懐かしくも捨てがたい悪は、
20世紀末、おそらくは法然の思うようなかたちで、しっかりと浮上してくる。
 

◆DNA、二重螺旋の発見

ユダヤ人科学者ロザリンド・フランクリンは、
私たちの細胞の中の核の中に、2つのリボンが絡み合う美しい螺旋を撮影、
それを垣間見た英国ケンブリッジ大学のワトソンとクリックは、
論文発表、二重螺旋DNAの発見者として、1962年ノーベル賞を受賞する。

引き続いて1976年には、
同じ英国人オクスフォード大学リチャード・ドーキンスが、
この螺旋を解析して「利己的遺伝子」を刊行、
遺伝子の全てがひたすらどん欲に自身の増大を目指していること、
ただひたすらの悪であることを明示、世界的なベストセラーとなったのだ。

ひたすらの悪、あまりにもあまりにもの悪である。
私たちを構成する細胞は一人約60兆個と推測されている、
その1つ1つが持つ二重螺旋の中の遺伝子は約22000個といわれている。
その気の遠くなるまでの数でありなから、そこには悪の遺伝子だけ。
「善」はなかったのだ。

紀元前の5世紀、今から2500年前、真善美をいうソクラテス。
あたかも腹の中にどかんと善を漬け込んでいるかのように善をひたすらの善を繰り返す。
それにならってプラトン、またまたそれに習って延々と善を言う人々は続き、
マルクスにヒトラーに、フーコーにと、こうしてヨーロッパを作り上げてきた。
だが、善はなかったのだ。

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あまりにも、あまりにも(悪人正機の悪悪悪)6

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◆悪人とは何か?

殺傷は厳禁の仏教国としては、まずは人を殺す武士、
つぎに魚を穫る漁師、山で獣を狩る猟師、
ほか遊女などが悪人となるだろうし、
また魚を料理する主婦、料理人などもまた悪人となる……

結局、ほとんどの一般庶民は悪人。
みんなしていずれは地獄行きと観念していたのではないか?
ところがその悪人こそが極楽往生するというのだから、
法然教理、まさに国中を驚喜させたわけで、
それも念仏、「南無阿弥陀仏」この6文字唱えるだけでいい、
僧侶へのお布施も必要はない、というから
良いこと尽くし、あっという間に全国に広がった。

今、念仏というと坊様以外では、
世ほどに年取った爺さん婆さんが、
ブツブツモソモソ……のイメージしか湧かないのだが、
この当時は老いも若きもひたすら念仏。
法然弟子の安楽など大変な美形でもあったので、
熱狂的な若い女性達にかこまれての念仏。
目下のロックスター並の人気ぶり。

都大路で時ならぬ渋滞、皆驚いて何事か?と行ってみると
荷車引きの婆さんが法然様のお言葉を書き付けた紙切れをそこらに落としたとか。
大騒ぎでそこらじゅうを探しまくっていた……などなど。
まさに日本中が法然仏教に念仏に燃え上がったのだ。
 

◆善人たち

以上は当時の悪人たち、
法然から極楽を授かってはしゃぐ様をもかきそえたのだが、
ではその逆の善人は、だれか?
どこでどう暮らしているのか?

上記悪人たち、つまり
武士漁民猟師農民遊女以外が善人ということになるわけだが、
具体的には公家、高級官僚、僧侶……など。

彼らも無論、善人目指して修行、
極楽往生をおもっていたわけで、
たとえば公家なら広大場所領を寺に寄進したり、
また浩瀚な仏典をまなんだり……の様々の善行を積んでいたわけだが、
法然またその弟子親鸞はこの善人志願を悉く否定、非難するのである。

願海は二乗雑善中下の屍骸を宿さず。
いかにいはんや人天の虚仮邪偽の善業、
雑毒雑心の屍骸を宿さん。
(教行信証・行巻)

 

何でもを飲み込んで受け入れてくれる海でさえ、善人はうけいれない。
人が善行とおって行うの行為や、様々の思いも、嘘いつわりの仕業、
そういうものの、どうして受け入れることがあるだろうか?

善は見るもおぞましいそうい代物、海さえはじき出す汚さ。
いても立ってもいえられぬ程に我慢できない……
こういう思いが伝わって来そうな勢いである。
そして、親鸞にあっては、
そのおぞましい善人を具体的に名指してしまうのだ。

主上、臣下、法に背き、義に違ふ。忿をなし、怨みを結ぶ
(教行信証・化身土巻)

 

1207年の弾圧について、政府を糾弾するのだ。
天皇またその側近の臣下たち。
まことに明快である、当時に会って悪人正機とはなんであったのか?
悪人を善人より上位に置くということはどういうことであったのか?
悪人善人相互の身分を逆転しただけでなく、
貴賎の身分をも逆転してしまったのだ、

悪人を手本となし、善人まで摂す

 

上人伝は法然の言葉をこう記録している。
農民など庶民いわば下層階級である「悪人」が
王侯貴族など上層階級である「善人」を支配統率する……
と口語訳してみたがどうだろうか?

法然は一般庶民に向けてものを言う。
仏教世界での救済より摂政に意味で話した可能性が高い。
「摂」を摂政の意味として、口語訳をしてみたのだが、
こうなると正に、自由平等の民主主義である。
自由平等のフランス革命1794年より600年も前に
早々と平等とを民主主義を主張した者があったのだ。
法然とその弟子親鸞たち。
親鸞の浄土真宗にいたってはその実行を目指して戦ったのだ。

浄土真宗は又の名を一向宗。
一向一揆となって界隈一帯に広がり、
ついには織田信長に反抗、6万人の死者を出している。
信長に敗れ去ってはいるが、その昔、平等を目指し
主主義を夢見て勇気凛々戦ったものがあったことは、
誇ってもいいのではないか?

今はもう怖い信長はいないのだから、おそれることはない、
日本庶民といえば、ただもう権力者にはいつくばるだけ、
金を追うエコノミックアニマルはそのなれの果て、
今度は金に這いつくばるとの評判もこれで払拭できるのではないか?

イデオロギーもなし、神も思想もないとされる日本国だが、
ここにはイデオロギーを排撃を言う思想がある、
イデオロギーの根幹をなすはすの正義、良心等等を
断固切り捨てる思想がこの私たちの奥でうごいているのだ。

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