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あまりにも、あまりにも(悪人正機の悪悪悪)1

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悪人正機説もまるで知らなかったわけではない。
これをおさめた嘆異抄とやらが、またまた名著の由、
聞き知ってはいたのだが、最近まで読んだことがなかった。
顔のせいだ。
問題は親鸞の顔。こんな顔の奴がまともな事を言うはずがない、
こう思ってページはめくらないまま。

親鸞といえば普通にはよほど歳を食ってからの顔、
それも簡単な素描のものばかり。

全体もぼけていてよく分からない。
浄土真宗側が隠しているのではないか?とつい疑ってしまうが、
30代、40代、壮年期の顔が描かれたのは見たことがない。

90歳の最晩年までガンガン書き連ねた親鸞、
何歳になろうがモーロクのはずはないが、
それでもなんとかモーロクを待って、やっと描かれた肖像画、
やっとボケかかって、なんとか大人しくなられたときの顔……
それだけが出回って欲しい……こういう思惑での肖像画とか?

だが彫刻はそこここ残っている。
九州のはずれ、とかこんな所に?という
ひなびたお寺にあったりしてびっくりする。

近い所では千葉は佐貫。
内房線の「さぬき駅」(正式駅名は佐貫町駅)で下車。バスで1時間の神野寺。
虎が逃げ出して有名になった寺だ。
いまは真言宗だがその昔は浄土真宗。
親鸞が滞在して自身で彫った座像が残っている。

はじめは気がつかなかった。
このあたりの豪族か?このあたりにも戦国大名、
異名はマムシの斉藤道三、
そんなような男がいたんだな、思いながら眺めていた。

眼光ケイケイ、怒気をはらんでにらみつけ、
今にも飛びかからんばかり。
受付でこれが親鸞と聞いてもしばらくは信じられなかった。
宗教家のかおではない、山賊、海賊、強盗の顔である。

まさか、この男、自分のような悪漢が正しい、
あんたらみたいな美人さんより、
またそこらのお偉いさんより正しいとか言っているのではないか?
まさかとは思うがたまにそういうずうずうしいのがいる。
……なんとなんと結局はこの「まさか」だったのか?

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まずは悪人正機説、これは以下である。

善人なおもて往生す、いわんや悪人おや

 
大変に有名な一文だが、この意味となるとまず大半がお手上げ。
大半が分からないという。

往生というのは極楽往生のこと。
直訳すると、

「善人でさえ極楽に行くことができるのですから、悪人ならまず大丈夫。間違いなく極楽に行きますす」となる。

悪人は死んだら地獄とおもっていたら、なんと極楽に行くというのだ。
悪人の方が、善人より先。
まず一番に極楽に行くというのだ。
つまり、悪人の方が善人より正しい、としているのだ。

こういう説は他には見当たらない。
外国にもないのではないか?
善と悪との身分を逆転させてしまっているのだ。

歎異抄は危険として長く公開されなかったのも、
この部分のためか?ともおもわれるが、
なぜ悪人の方が善人より、いいのか?
これが分からない。

めでたく成仏、極楽についた思ったら、
石川五右衛門やらアルカポネやらすごいのがゾロリとなると困るではないか!
だれがこんな厄介なことをいったのか?
親鸞という説と法然という説の2説がある。
今まではずっと親鸞の説とされてきたもの。まずは親鸞を探った。

それらしいことはモヤモヤと幾分か書いてあるようで、
この嘆異抄からは、しかとは掴めなかった。
どこか他に詳しく理由を書いているはずと、親鸞の文書を隈無く探した。

膨大な教行信証4巻、何でもかんでも書きまくる親鸞のこと、
その中に書いているるはずだ……ところが、結局なかったのだ。

善人については、書いている。
善人は余りに汚いと罵倒しているがその理由、なぜ汚いかは書かれていない。
悪人はなぜ善人より立派なのか?
その理由を親鸞からは見つけることができなかった。
ひょっとして親鸞、その理由は分からなかったのではないか?

たとえ法然師匠にだまされたとしても、かまわない。
法然師匠についていくと言う歎異抄のちょうどこの前の2章にある。
法然の教説とはいえ、中にはよく分からない教理、
ピンとこない教説もあったのだろう。
この悪人正機あたりもそうではなかったか?

最近では、悪人正機は法然の説とするのが普通。
法然の高弟源智の「法然上人伝」に同じ文が
法然の発言として記載されていたからだ。

これは歎異抄より50年も前のもの。
作者の源智は幼き日から終始法然のもとにあった人物。
おそらくは源智が法然から聞き取って書きしるし。
それを親鸞など、だれかれが写し取っていったのだろう。

法然絶筆、一文起請文はこの源智の要請で書かれたもので、
法然はその2日後に死亡している。

息も絶え絶えの法然を無理無理たたき起こし、書かせたのだ。
それまで冷酷な人と反感を持っていたのだがなぜか画像を見てすべて氷解した。

画像は京都百万遍知恩寺の奥、分厚いコンクリート壁の蔵の中にある。
この人は法然を熟知している。
ひょっとして法然以上に熟知していたのではないか。
法然を愛し法然を守り、その死後までも守り続け……
そういう人物ではなかったか。

地恩寺境内の奥で、墨染め粗衣をまとって
半ばほほえんだままに700年を経た源智。
ただの画像である。
小さな軸の絵でしかないが、
いまだ生命を持ったままの人物として、微笑んでいらっしゃる……。

その細い穏やかな目から、全てを射抜くかに見える眼光を発し続ける源智画像、
叡智はこんなにも暖かく幸せなものであったのかと不思議に思った。

Written by イガイガボン

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