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あまりにも、あまりにも(悪人正機の悪悪悪)4

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◆私伝

嘆異抄も上記と同じ解説をつけているが、
書き写した唯円もしくは親鸞が、
源智の「私にいう」を見落としたのだろう。

「善人なおもて……」と同じ発言者、
つまり法然の発言としての解説を加えている。

しかしこれは親鸞の解説でもなければ、法然の解説でもない。
源智の解説である。目下の教科書はすべてこの覚如を踏襲するが、
すべて唯円の誤読を元にしたもの、訂正すべきだろう。

日ごろより、身近に法然の発言を聞いて
学んできた源智にあっては、上記は、
危険とも奇怪ともしなかったのだろう、
その言葉を判らなかったはずがない。
三日三晩、必死と考えたとは何を考えたのか?

三日三晩も考えなければ分からないようなものなら、
書き付けたりはしなかっただろう。
分からなかったのではない。
見事な言葉、なんとしても記録すべきものだ。
問題は、これらをどう隠すかである。
これを三日三晩考えたのではないか。

今でさえ道徳蹂躙として仏僧安楽など
前途ある僧たちが死罪へと追い込まれているのだ。
これ以上の罪科は御免である、
なんとして隠蔽する必要があった。

法然も選択集を隠すことを指示している。
これは選択集の比ではない。
書き残すことと同時にそれを隠す必要があった。

どう隠すかを三日三晩かんがえたのである。
どういう方法で隠せばいいのか?
源智は嘘のベールで隠そうしたのだ。
危険千万な法然言説の上にフワリとべールをかけたのだ。
そのベールをすかして、それらしいものは見えるとしても、
それは真実とは違う。

ひたすらややこしく、
そのために安全無害となった惰弱虚妄の文言の群……
頭脳明晰、透徹した論理に打ち抜かれているはずの
法然言説は若干25歳、愛弟子源智の悪行によって
似ても似つかぬもの変容させられたのだ…… 

さてこのあたりは私の勘ぐり。
目下の解説、
教科書採用の解説が不審でならなかった。
おかしい、法然にしろ、親鸞にしろ、
話す相手は農民、武士、遊女、漁民、
……こういうややこしい論理を説いたりするだろうか?

そんな小難しい事を言うはずがない。
こんな小ざかしいことをするはずがない。
法然はその絶筆に学問不知をいう、
早い話が学問してはいけないのだ。

ところがこの解説は
学問なければ読み解けない。おかしい……
上人伝をみて初めて氷解したこれは源智の悪だくみだ。
法然教理を故意にねじ曲げたのだ。
「悪人を人の手本となし……」
これで源智は自信を持って悪人に変貌したのだ。
源智によってなんだか訳の分からない教理となったのだが、
ともかく脆弱惰弱に安全無害になったのだ。
それなら生き延びる事ができる……

悪行をなす悪人こそが、人々の模範であり、手本である。
悪人こそが、善人を含めてすべてを掌握して統率できるのだ。
源智はこう読み解いたのではないか?
平家の総帥、平清盛の曾孫源智として、
なんとしても清盛の轍は回避しなければならなかった。

一族は全滅、彼は父を失い、兄を弟を失い、
叔父叔母も、友も部下もなく、すべてが奪われたのだ。
源智にあっては、
法然門下は彼の家族一族にかわるものとしてあったはず、
なんとしても守り通し末永く永続させる必要があった。

そのためには何でもをやる。
悪行も全てを入念に細心の注意をはらって、
時に善行と欺きつつ、悪智恵の限りを尽くして、
あの手この手の策を巡らし……
こうして100年200年、
いや1000年2000年と生かし続けなければならない。

Written by イガイガボン

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