イガイガボン

出版の(株)iga

ドラゴン in the Sea 下「終わりに」

without comments

ドラゴン in the Sea 下ドラゴン in the Sea、上巻に続き、今回は、下巻の末文を全文公開いたします。
 
ドラゴンの住処である海、そこから派生する思想。
龍樹と仏教、最後は詩人、梅田智江の詩篇で締めくくります。
ぜひ、ご一読ください。


 
終わりに


 
 
戸沢 長々ドラゴン方式をしゃべってきましたが、
法然や親鸞の元祖、龍樹からそう名付けたんですか?
 
阿賀 いいえ、ずっと龍樹のことは忘れてました。
その昔、キリスト教が海へ突き落とした龍にちなんで、
ふっと、そう言ってみただけなんです。
でもドラゴンって、キリストをさかのぼること五百年、
ソクラテスの時代から、すでに海で暮らしていたみたいです。
 

学者であって知恵があるために
議論の一つの頭が切られれば
その代わりに無数の頭をつきだす海竜
(「エウチュデーモス」『プラトーン全集』木村鷹太郎訳 冨山房)

 
海を棲家とする海龍に例えているということは、
思考形式としては意識化されないまま、
無意識の海の中にたゆたっていたのでしょうが、
実際には当時のギリシャを支えていた
強力な思考形式だったのではないか?
 
阿賀 プラトンはこの龍は英雄ヘラクレスでさえ
一人では征伐できなかったほどの怪物。
我々ごときは、この怪物の正体を
掴むことさえできない、なんて言っています。
 
ソクラテスたちプラトン一派には、
捕えがたいほどの知性と力を持った
ある思潮なり思考システムなりが、
存在していたのではないでしょうか?
 
そしてその正体は、海に潜む龍のように捕らえがたく、
くねくねとくねりながら動くもので、
実際の思考システムなのかあるいは、幻覚として在るのか、
ソクラテスたちには、それさえ不明の恐るべきものではなかったか。
 
戸沢 まさに龍樹ですねえ。
なんせ龍なんですから、インドだって一泳ぎ、
ちと上陸して龍樹へと化けたのかもです(笑)。
 
阿賀 図書館に行くと、
最近、龍樹の関連本がよく貸し出されています。
相当に難解なものまで、数十年ぶりに復刻され始めたり、
いよいよ私たちは龍を必要とし始めたのですね。
 
龍樹については、特にその思考形式というか
思考システムにスポットをあて、
カント、ヘーゲル、アリストテレスなど
ヨーロッパのロゴスの哲学と対比して解説した
山内得立『ロゴスとレンマ』がありますが、
西洋とは異質ながら、西洋思考システムを包含しつつ、
かつ凌駕していくものと見ています。
 

ロゴス以外に論理がないというのは
西欧思想の越権であり倨傲でさえある。
(前掲『ロゴスとレンマ』)

 
戸沢 ロゴスの論理は言語が基盤。
言語に浮上する前の無意識にしろ、異次元にしろカットして始まる。
これじゃちと狭いですよね。
 
阿賀 そうですねえ。
今回は仏教の中でも特に浄土という異次元を
大幅に包含して成立した仏教思想をとりあげ、
これが市場システムなり、『大菩薩峠』などの読物の中を、
それとは感知されないままに這うように流れている、
と見てきたのですが、これらはヨーロッパ思想に拮抗する
重要な哲学ではなかったのか。
 
確かに、従来ほど単純な哲学でも、綺麗な思想でもありませんが、
誰もが把握できて、そこを流れることが出来る
有効な哲学となり得るように思います。
 
今回は、今まで未解読であった女性詩人の詩篇をとりあげ、
その解読も試みました。
龍的な人物、女性の思想家なりが
浮上してくるのではないか、と思っていたのですが、
龍樹、法然、親鸞、そしてボウイにマンソン……と、
案に相違して最後は男ばかりの登場となってしまいました。
 
これではちと淋しいので、最後は女性詩人で締めくくりたいと思います。
梅田智江「妖花記」から。
多頭の蛇、聖書黙示録に言う多頭のドラゴンのような花、
これが登場する後半部分です。
 

この花がもっとも激しく捕食をするのは、
月光の降る夜で、甘い分泌液と共に、ひときわ
強い芳香を放ち、花弁を震わすのだという。
その匂いは媚薬のように、
一度嗅いだら逃れることは叶わなくて、
哀れな犠牲者は、次々に花のなかに消えていくのだ。
それ故に一層その群落を広大にして、
じわじわと瓦礫の都市へと侵食していったのである。
飢えた人々が、この花の甘い蜜を
どれほど貪り食らおうとも、
彼女らの繁殖力の凄まじさの方が勝っていた。
すべてのものが死に絶えた都市の舗道に、崩れた壁に、
途切れた階段、風にはためく扉にさえ、彼女らは
多頭の蛇のごとく貪欲に、その根を伸ばしたのだ。
「それは残酷な眺めであった」
と、ハムプキンズ氏は記している。
上空から見ると、都市は死装束のように、
純白の花たちで覆われていた。
だが、懸命に生殖器を剥き出しにして、
絶叫するように、
月に向って一斉に翻ってもその花たちの
生殖器を必要とするものはなかったのである。
その虚しさゆえに
彼女らは戦慄的に美しかったというのだ。
(梅田智江 『変容記』)

 
エミリ・ブロンテのように天高く聳えたい人もいるでしょう。
でも私は地底のこのドラゴンの花々の方に自分を重ねてしまいます。
このように醜悪で、はびこっていくもの、
醜悪のゆえに強靭であるものとしての私を思います。
 
戸沢 この詩は、ひょっとして警告ではありませんか?
女性というより、私達、ヒトと言う種族の繁殖力の恐ろしさ、
繁栄がもたらす不幸を予言していませんか?
巫女たちの紡ぎだす詩篇はデルフォイの神託と崇められて
古代ギリシァの人たちは従ったといいます。
今、女性詩人たちが、無意識から繰り出す詩篇もまた同じ。
従えとはいいませんが、耳を塞ぐべきではないと思いますね。
 
阿賀 無意識や性など、今回取り上げたものは
ウロンなものとして捨て置かれてきたものばかりですが、
どうでしょうか。そこには科学や哲学などの学問では届かない
底知れぬ智恵が眠っているような気がします。
 
 
ドラゴン in the Sea 上


ドラゴン in the Sea 下

Written by イガイガボン

at

Leave a Reply