イガイガボン

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南風桃子詩集『うずら』1

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九州はもう春なのかな?
大分県から、とっても可愛い詩集が送られて来た。
南風桃子さんの『うずら』
コロっとしたうずらちゃんの絵が、あちこちに散らばっていて、
これがまた可愛い。

南風桃子『うずら』空とぶキリン社
南風桃子著『うずら』空とぶキリン社


 

で可愛い可愛いを連発しながら、ページをめくって行くと、
おやおや可愛いだけでは、すまないので、コロッと、なにか変なもの、
こんなことを言っては神様に失礼と思うものの、
神様みたいなも のが、転がり出てきて……びっくりしてしまった。
 

天にこだまする福助の声
 
――おまえはカゴの中のうずら。
  いついつでやる?
  生きてる間に出られるとよいがな
  生きておる間にな
  イヒ。
  ――by 福助
       「福助」から(詩集『うずら』所収)

 
 

自由気ままにしてるようで、人もまたうずらと同じ、
いつも檻の中、なかなか出られない。
「出たぞ!」と思っても、たいがいは別の檻に移っただけ、
おそらくは生涯、檻暮らしではないだろうか?
 
この福助は違う。
平然と檻の外にいて、笑ってる。
おそらくは地球の外であろう。そんなところにいて、
酸欠にもならず、「イヒ」なんて、すごいではないか?
威張るでもなく、力むでもなく、サラリと「イヒ」。
ここが凄い。
これは、並ではない、この福助は神様だと思った。
これこそは正 真正銘の神様だと。
 
思い起こせば、今まで、神様または
神様らしいものを拝んだ記憶がない。
両親は無神論、家には仏壇も神棚もなかった。
たまたま隣が、神主さん。お付き合いで買うハメになったと、
母が持ち込んだ大きな神棚を見たことがあるがそれっきり。
その後は見たことがない。捨てたのだろうか、バチアタリなことである。
 

親戚の家にいくとまずは仏間、どの家も浄土真宗で、
馬鹿でかいキンキンランランの仏壇に手を合わせて挨拶となるのだけれど、
仏壇だから、仏様の像があったはずだが、思い出せない。
記憶から外れている。
いったい何を拝んでいたのか?
問題は仏壇の上の写真。祖父さん祖母さん、
そのまた前の祖父さん祖母さんの写真やら絵姿が
額縁入りで所狭しにひしめいていて、仏様どころではない。
結局はこの方々を拝んでいたのである。
 
仏様の両脇に親鸞様、
その先生の法然様の絵姿を飾られたらどうですか?と
お寺様に薦められたことがあったと伯母は言うが、
この伯母の家でもどの家でも、親鸞様法然様は見かけたことがない。
 

親鸞様といえば、全国各地に自身で彫られたという彫像が残っているが、
眼光ケイケイ恐ろしいばかり、山賊の親分としか見えないのが多い。
家に飾って拝む気にはなれない。
法然さまは、穏やかなまあるいお顔、こっちは拝みやすいようで、
殆どのお姿が横向き。これが気になる。
ソソソソっと何処かへ行ってしまわれそうで、不安になる。
流罪に合われた方、私たちの世話どころではないのでは?と思ってしまう。
 
その点、この福助様は違う。
動かない。ぺたりと畳にへばりついている。
お顔は完璧な福相。どういじろうといじれない、
何があっても「福」から動かない固定型幸福の顔である。
この方を拝まないでおられようか!
 

昔からの正統派神様、イエス様やら仏様の手前、
大っぴらにはいえないのだけど、実は私たちは、
密かに密かに、この福助を拝んできたのではないだろうか?
心の奥の又奥の深いところに小さな座布団をしいて、
福助様をほっこりと乗せ、ほっと一息ついたり……
そうやってきたのではないだろうか。

Written by イガイガボン

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One Response to '南風桃子詩集『うずら』1'

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  1. 阿賀さま
    拙著「うずら」をこんなに大きく紹介してくださり、
    本当にうれし、はずかしで、ありがとうございます。
    「空とぶキリン社」さんも喜んでくださいました。

    浄土真宗の檀家なもので、親鸞様や阿弥陀様には
    なんとなく親しみがわきます。
    うずら2も楽しみにしております。
    自分が思いつかないようなことを知ることができるので
    書評をいただけるのは大変ありがたいです。

    南風桃子

    6 5月 15 at 13:38

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