イガイガボン

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女人成仏

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梅原猛『法然の悲しみ』は、特に母親鎮魂ための女人成仏に注目している。
仏教での「悪」と言えばまず女性。
釈迦も美しい妻を捨てる事から始めている。
法然が師と仰ぐ中国仏僧、善導は特に女嫌い。
女性恐怖症に近い。
この善導をおしいただく法然のこと、悪人といえば、まずは女性が念頭にあったはずだ。

法然の悪人正機説は、一般的悪人の成仏に加えて、この女という「悪人」もまたしっかりと成仏させてしまう。
となるとどうなるのか。
妻帯OKなど日本独自の仏教へと変容。
親鸞みたいに女犯の罪などクヨクヨする必要もなくなって、実に重宝便利だが、それだけでなく思考スタイルとして、世界に例のない哲学となるのではないか?

主義主張、宗教も、まずは「否定」をバネに浮上する。
民主主義なら、君主主義やら独裁政治の否定、キリスト教ならそれまでの多神教やユダヤ教の否定……。
当初は旧弊が一掃され、ありがたいのだけれど、必ずそうではないものの迫害を伴うもの。
民主主義だから安全と呑気に構えていたら、反民主主義の国とされたばかりに、雨霰と爆弾投下、殺戮専科となって民主主義なんぞ吹き飛んでしまっている。

法然仏教には、まずは「否定」がない、「悪」がない。
主義主張に付き物の攻撃力が削がれている。
悪の征伐なしの安全な思考として、法然仏教はもっと注目されてもいいのではないか?

 
インドの悪女


パンチャタントラ

パンチャタントラ

『ドラゴン6章』では、古代民話「パンチャタントラ」から、悪女を登場させ、その悪女に堂々たる悪の理念を喋らせているが、ちょうどお釈迦様の国の古い古い民話、当時、女性はこういうものとされていたのかもしれない。

法然選択集には、これら悪女の描写に似た記述もあり、女人成仏もひょっとするとこの古代インドの性悪女性を念頭に置いての教説かとも思われたのだが、法然の悪人は、どこか南国風、カラリと明るいのだ。

親鸞、歎異抄での悪人は、やむにやまれず悪事をなしたとか、どこか悲壮感が漂う。
親鸞としては、これぞ師匠、法然の根本思想、より一層強調したいと、ガンガンの劇的発言となったのだろうが、元々の法然発言は、もっと広やかなものではなかったろうか。

法然にいう悪人は、取り立てての事情もないままに元からの悪人。
悪こそが人の本性。だから悪が「正機」なりとケロリの風情。
これはもう、今世紀の劇的発見、リチャード・ドーキンス、悪の遺伝子の世界である。
800年も前からそんな土俵に平然と座っている。

悪人正機説では悪人がいなくなってしまう。だから地獄もない。
死後の地獄行きを恐れて貴族たちは広大な所領を寺に寄進、その土地を耕す農民達もしっかり年貢を奉納してきたが、地獄がないのならもうその必要はない。
他のどの教説より、よりいっそう旧仏教の経済基盤を脅かす教説として、バッシングを受けてきたのだろうが、ともかくあの恐ろしい地獄を、閻魔様もろとも、バッサリ消し去ってくださったのだ。
何ともありがたいこと、特に悪人の方々は、法然さまに感謝しなくてはそれこそ、バチが当たるだろう。

一世紀、ローマ帝国の凄惨なキリスト教迫害への怨念が、新約聖書を作り出したと、D・H・ロレンスは言う。
書物だけではない、重大な事象の裏には、消しがたい何らかの怨念がある。
梅原猛『法然の哀しみ』は、非業の生に沈んだ母への哀惜が法然仏教を導いたと説く。
法然仏教も又また怨念のたまものかもしれない。
だが母を思う故の怨念は、どこかロマンに満ちて美しい。

なんだかんだとはいえ、私たちの時代は殺人鬼の時代である。
清楚で余りにも善良な母親に育てられた清廉な青年ヒトラーが正義を求めるままに史上最大最悪の殺人鬼へと変容した時代を生きてきたのである。
日本殺人鬼、机竜之介またヨーロッパ殺人鬼、プリンス・モニーは、20世紀ドラゴンを語るには必須不可欠のアイテムかと思われる。
 
 
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