イガイガボン

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妖精珍種2 マットヘルスクラブ妖精ちゃんたち駅前2号店

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何のために書くのか?


さて話は英国ではなく、日本国である。
自分探しとか真実追求とかで、各という人が多いが、
自分なんて知ってどうなるものでもない。
うんざりするのがオチ。
真実も同じ、食ってうまいわけはなし、そんなもの追っかけるはずがない。
むしろ逆。
自分から離脱したいのではないか?
 
まず自分は見ない。
真実も無視、
ぱっとしない自分から離脱してパットする別の人物に変貌する、
または変貌しようとしてシシとして文字を書き連ねるのだ。

明治のエリート漱石ならんとして、
19世紀パリを闊歩する若きランボウになろうとして、
あるいはすでになったつもりで……とか。
離脱の解放感、物まねの喜び、ここに極まるのである。

ともあれ、詩編たるものどういう辛い苦しいものを、
書き連ねていたとしても、裏には、こういう嬉しい楽しい事情があるのだ。
 
物まねは楽しいだけではない、
物まねの方がよほど安心して読んでもらえる。
たとえば、歌謡曲。
 
物まね専科のコロッケを見るがいい。
アマタの歌手の歌い方から、表情まで、
しっかり細かくまねをして、大受けに受けて何億とかの豪邸を建てたそうだ。
 
物まねはする方も快適だが、聞く方も快適なのだ。
元々はかって大ヒットした曲。
なじみの旋律で、まずは無事に着地するはず。
安心して聞いておられる。

本物はこうは行かない。
聞いていて不安になる。
安全第一、無事が一番の昨今では、
どこもかしこも物まね一色、
本物が出る幕がなくなってしまった……かとさえ思われるが、
にかかわらず、である……漱石だの、ランボーだのは、介在させない。
自分一個を押し通す、
なにが何でも自前で、押し通すのが、たまにいるわけで、
これが細田傳造。
 
書くのは目前の事実。
過去ではなく、今の事実。
今の自分自身。
なにも風光明媚な富士山麓まで、
都会の雑踏やらゴミ屋敷を持ち込むこともあるまいし、と思うだろうが、
ここが傳造、これこそが傳造たるところ、
ワケのわからん無頼のカタマリとして、
所かまわず、無頼の詩をはじき出していく……
見事アッパレ、細田傳蔵なのだ。
 
 

「シャチョウ、ヘルス」


新宿の裏通り、深夜、背後からこう呼び止められた。
振り向いたが誰もいない。
こちらは女性、大柄、かっぷくはいいし、
男性と間違えられることの多い戸沢タマさん。

立ち止まって目を凝らすと、いかにも真面目、
しかっり真面目、どこを切っても真面目しか出てきそうもない
まさに、「真面目課長」という風情の男が、
ビルとビルの陰に潜んで、ひょいと出たり引っ込んだりしている。
 
「社長、ヘルスは、いかがですか?なんなら今からお連れします」
 
ちょいと裏通りに入れば陽気で楽しい天国があるのだ、
そこでは、天使たち、それも妙齢の麗しの妖精たちがワンサカ待っている。
 
ちょいとした金で、誰でも生きながらこの天国に遊ぶことが出来る。
この天国でのひとときを生き甲斐にしてる人もいるだろう。
カンバセ悪く、心映えもイマイチ、
その昔なら生涯「女」のオの字さえ拝めなかった男でさえ、
ちょいとの小金をこの女天国に遊ぶ事が出来る。

よくぞ経済大国、
風紀ビンランの日本に生まれてきたと涙する男も多いのではないか?

西欧天国は違う。
神様といえば、要介護3度一歩手前の白髪爺さん。
それにへばりついて、でっぷり太りまくった赤ん坊天使たちが
ぞろり、ひしめいて浮かんでいる。
言わずもがな、彼らは皆、糞尿垂れ流しである。
こんな天国なんぞ、うっかり迷い込んだら、何という苦労だろうか!
こんな所には、紙おむつ業者以外は誰も行きたくはない。
 
西欧文明、ちょっと見は、カッコいいのだが、
よくよく精査すると、簡単じゃない。
明治以来、詩も小説も西欧権威の物まねに死力を尽くしてきたが、
さてその果てはどうなるのか?

ここは歌謡曲とは違う。
コロッケみたいに御殿は建てられない。
待っているのはどこまでも無限に続く糞尿満載の汚物天国、大変である。
 
物まねは楽しい、うれしい、読んでいても安心……と呑気にしていると
あら大変、とんでもないところに行ってしまうのだ。

だから細田傳造は、自前で行く。
自前の天国をしっかり掴んではなさない、
西欧天国を寄せ付けないのだ。
 
自前の天国、「マットヘルスクラブ妖精ちゃんたち駅前2号店」を
どこまでもどこまでも、がっちり抱えて今日も行くのである。

戸沢タマ画:「マットヘルス妖精ちゃんたち2号店」

戸沢タマ画:「マットヘルス妖精ちゃんたち2号店」

Written by イガイガボン

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