イガイガボン

出版の(株)iga

泣き女諸君!

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発被害は想定外と、東電は言う。
地震被害も同じ。
そうだろうか?


インドネシアなど、太平洋沿岸各地で大地震発生、
明日は我が身と日本中が地震に怯えていた。
東北原発地域の人たちだけが、危険を想定することなく、
怯えることもなく、ただ安穏に地震を待っていたのか?
地震が起きたら東電が守ってくれると思っていたのか?


最近は不思議と見なくなったが、かつて新聞広告といえば東京電力。
1ページ全面を使った巨大広告が各紙をおおっていた。
全ての記事と広告を吹き飛ばす勢いの広告、内容は安全宣言。
下に緑の樹木を配して、電気は安全、環境保護に役立っている……
正に嘘広告であるが、東北の人たちはこの広告を信じたのか?


繰り返し繰り返し、同じ広告が掲載されていた。
新聞広告は高額、すざまじいまでの資金が投入されたはず。

思えば不思議である。
当時は電気は安全と誰もが決め込んでいた。
それをなぜ、大金を使ってまで安全宣言をする必要があったのか?
まったく別の目的で資金は投入されたのではなかったか?


えば、また一つ不思議である。
かつてアメリカ原潜が、ちょっと立ち寄っただけで放射能汚染だと大騒ぎしていた新聞各社が、
その数百倍、いやそれ以上の汚染を吐き出しかねない原子力発電所になに一つ疑惑を差し挟まなかった。
なぜなのか?
かくも大量に東北に建設されながら、その危険性に沈黙し続けた。


新聞マスコミ、特に新聞社の入社試験は難関である。
鋭敏な嗅覚で、事の内実まで見極めて取材する記者を抱え持つはずだ。
なぜ彼らは、一斉に沈黙したのか?
なぜ事実を報道しなかったのか?


取材を積み重ねたからといって記事になるとは限らない。
新聞紙面をデカデカと三段抜き、4段抜きで占拠する大型企画でさえ
一瞬にして葬られる時もある。
営業部門、広告部門の圧力をどう耐え、どう跳ね返すか?
東北惨事の裏には、大量の記事を黙殺された果敢な記者たちの
無念の思いが累々と屍となって、積み重なっているはずだ。

事実さえ報道されれば、東北人は動き出していたのではないか?
太平洋沿岸に頻発する地震に対応しての原発対策、
これが、なんらかの形で開始されたりはしなかったか?


ひたすら事実を隠蔽、大事なのは広告収入……
こういう新聞を誰が信じるだろうか?
より新しい報道機関、全く別の報道方法……これを開拓する必要があるだろう。
もうそろそろ、とって変わるものが出現してもいいのではないか?


民主主義って、いったい何なんですか?
 言葉自体からおかしい。「民」がアルジってことでしょう?
 個人はどうなるんですか?
 一人一人はどうなってもいいちゅうんですか?」

 (イガイガボン『ひとを千人』戸沢英土の発言)


「和をもって尊しとなす」……まことにしかりである。
だが、いつもいつも「和」がうまく作動するとは限らない。
新刊本『ひとを千人』では、みんなテンデンバラバラの自説を言う、個論重視を提唱している。

個々雑多のニュースを、同列で提示する情報誌があってもいいのではないか?
うちのネコは、煮干しの頭を残す。ブーチンがクリミヤに攻め込んだ、
最近の花屋は横柄だ……例えばこういう具合である。

……中に入れない、外からはよくは分からない、
だがニョキニョキ沢山の原発が並んでる、なぜか怖い、やっぱ怖い

 

この程度しか書けなくとも、まるっきり知らんぷりの大新聞よりましである。
99%、驚異的な「和」を達成したヒトラーファシズム、
そして又、ソ連崩壊で80%の「和」をキャッチした欧米列強……
かつての「和」は、ユダヤ殺害に爆走。
目下の「和」はアラブ、アジア人殺害に爆走する……

「和」はおそろしいものではないのか?
民主主義は恐るべき何かへと変貌しているのではないか?

Written by イガイガボン

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