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羊の国の恥の女神 ―朗読詩篇―

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羊、
古来、小羊は無害有用、弱き良きイキモノと思われてきた、だがそうだろうか?

今回の場合、子羊は凶暴な大羊へと変貌、
老いた母羊は、狡猾を極めて神様にまでなってしまう……
この厄介な子羊と奇怪な母羊を、白いフカフカの布をまとって舞踏家・十亀脩之介が踊った。
羊女神を踊る十亀脩之介

「羊の国の恥の女神」


2014 山岡遊/第二回・詩の虚言朗読会『恥』から
 

どこまでも続く野原の真ん中で、私は7匹の子羊を生みました。
風そよぐ日に、草の実が音を立てて笑う真昼に

獰猛な大羊となった私の子供たち
ただ食いまくる子羊たち
恥しらずにも7匹もいて

彼らは間もなく狼の一家を襲うでしょう、牛たちをも襲うでしょう。
狼は泣き,
牛たちは怯えるのでした。

ただ食いまくる子羊たち
獰猛な凶悪の大羊となった私の子供たち
恥知らずにも、7匹はそれぞれに7匹の子羊を生み

―――いいえ、かれらはオオカミは食べません。

牛も食べません
彼らは私を食べるのです。
子供は母親を食って育つもの、母親を踏みつけ、粉々にして、
けれど、子供たち、どうか助けておくれ
どうか、どうか、私を助けておくれ

あまりにも健やかな子羊たちと孫羊たち
大きく頑丈で、軍隊のように立ち並ぶ子羊たちの群
彼らは私を笑うのです。
獰猛な歯をむき出しにして笑い転げるのです。
ひたすらにいくじのない老いた母親を笑うのです
愚かなあまりにも愚かな私を笑うのです。

それでも広々と続く野原、
草の実が弾け、細い剣のような葉を突き立てて、葉がそよぐ日、そんなある日、そんなある日に
人間たちが来たのです。
恥知らずにも、その人は、羊たちと戦って、あっという間に羊たちを制し羊の国の大王となりました。
羊でもないのに、羊の国の王となったのです。

食い過ぎて、太り過ぎて、つまりは幸せが過ぎて、羊たちは、
いつか、弱く、脆く、ただの肉のようなものになっていたのでした。

大きな口ひげに羊の油をベットリつけて、王さまは、毎日毎日、羊の肉を食べ続けます。
大王様の家来たちも同じ、毎日毎日羊たちを食い続けます。
私の子供たち、私の孫たちを食い続けたのです。

私は?
私は王国の元祖、羊女神となって、王宮の庭の小さな神殿に住んでいます。
食われて死んだ沢山の子羊、孫羊、そのまた子供たち、
私の沢山の子孫たち、
神殿は、彼らの魂で大賑わいです。

私は少しの干し草があればそれで十分
老いて干からびた私は、もう羊ではなく、どんな生き物でさえなく、神のようなものになっていたのです。

大いなる恥を搭載した恥の塊として、恥でガンガンに硬直して、
私はこの王国の陰で、密かに君臨しております。
恥が恥知らずがすべての難局を切り開くのです。


かつて世界中を魅了したファシズムが、
ドイツファシズムのユダヤ人抹殺ですっかり人気急落、
今はもう影も形も……とも見えるのだけれど、そうだろうか?

かわって、それとは相反する民主主義が登場したというのだけれど、
そうそう人は簡単に変われるものではない。
それまでのファシズムと共通する部分があったからこそ、
私たちは民主主義を受け入れられたのではないか?
かつてと同じ病根を抱えたものとしての民主主義ではないか?

か弱く純朴な民衆、
子羊のごとき人々をアルジとして新たに浮上した民主主義、
けれど「弱く純朴な民衆」なんかどこにいるのだろうか。

「弱く純朴な民衆」なんぞになりたい人もいないはずだ。

子羊は、皆揃ってたちまちに凶暴獰猛な大羊へと変貌、
あらぬ方向へと走り始め……一風変わった子羊物語となった。

我が家の冷蔵庫の上に飾ってある子羊のお面、
かわいいようで、かわいくはない。
夜、空洞のはずの目が時としてギラリ光るときがあり、
どういうものか、子羊というのは油断できない生き物のような気がしてならない。

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Written by イガイガボン

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