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治安維持法と『ドラゴン』

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中澤俊輔著『治安維持法』¥860を購入した。
実際の治安維持法自体は1925年の制定だが、同書は1900年の治安警察法からはじまり、1910年の24名の死刑判決を導いた大逆罪、またその後に起こった事件まで、広範囲にスポットをあて、治安維持法として論考したもの。
表紙の帯に「稀代の悪法は民主主義が生み、育てた」と大書してある。
民主主義について、一般的な見解を真っ向から覆しているのに注目した。

三浦瑠麗著『シビリアンの戦争』もタイトルの後に、「デモクラシーが攻撃的になるとき」と副題をつけている。
つい今までは何はともあれ民主主義であったのが、相当に様変わりしている。
民主主義とはいったいなんなのか?治安維持法や軍国主義とは、相対立するものとされてきたのだけれど、そうではない、ひょっとして、同じものではなかったか? とさえ思われてくる。

幸徳秋水イガイガ本シリーズの、『ドラゴンin the SEA』では、直接『治安維持法』に触れた部分はないが、大菩薩峠の作者 中里介山が、幸徳秋水に私淑していたことから、秋水と同じくこの悪法の犠牲となった小林多喜二にまで話題が進み、二人の代表作の表紙を写真入りで紹介している。

『ドラゴン』の場合は青春時代を軍国主義で明け暮れた92歳の対談者、私の母親を話題にしているが、彼女は当時としては珍しいまでの自由な環境にあったせいか、根っからの自由主義者であり、民主主義ニンゲンであった。
だが同時に熱烈な軍国主義者でもあったわけで、2・26事件の首謀者に同情、その処刑を決定した政府に憤り、処刑の日には女学生は全員で集まって大泣きしたことなど、繰り返し聞かされてきた。

小林多喜二当時、民主主義の究極として軍国主義が台頭していたのではなかったか?
当時民主主義とは軍国主義ではなかったのか。
「攻撃的になった民主主義」としての軍国主義ではなかったのか?

一般的な見解とは逆になるが、イガイガ本「ドラゴン」では、昭和天皇側近を勤めた木戸幸一日記を紹介、スペイン思想家オルテガの著作も引用して、この見解をカバーしている。

小説では、林芙美子の『浮雲』。
当時の占領地、南方諸国へ新しい未来を見つけて旅立つ青年群像を活写、当時の熱気が伝えている。
このあたりが軍国日本の実態ではなかろうか?
国をあげて老いも若きも軍国日本に沸き立っていたのだ。
「民主主義イコール軍国主義」では戦後思想は壊れてしまう。
戦後の小説のいくつかが、成り立たなくなるかもしれないが、だが実情はこうではなかったか?

話は中里介山である。彼を駆って大長編『大菩薩峠』を書かせたのは、政府の治安体制への憤りだろう。直接には幸徳秋水以下24名が実刑判決を受け、
うち12名が処刑された大逆事件への怨念である、この大逆事件に幸徳秋水ほか、中里の周辺にいたものの幾人かが連座、命を落としている。1900年の治安警察法、1925年の治安維持法、これら悪法への怨念が、介山の生涯を支配、大著を続行させたかと推測した。

大逆事件は1910年、死刑執行は翌年1911年。
翌々年の1913年には「大菩薩峠」の新聞連載が開始されている。
だがこの大菩薩に関しては連載の前に自身で活字を組んで印刷、小冊子にして、持ち歩いて誰彼に見せている。
中里は当時、すでにいくつか新聞連載も経験していたわけで、大菩薩もまたいずれは、掲載可能なはずを、なぜそこまでして、印刷配布したのか?
秋水を思い、友人たちを思い、じっとしてはいられなかったのではないか?
 
 
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『大菩薩峠』と芥川龍之介

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今回の『ドラゴンin the Sea』の下巻にその発言をそのまま引用、掲載したが、芥川龍之介は『大菩薩峠』をあまたの文学書を差し置いて屹立する大傑作との
言葉を残している。
すべてが消える、大菩薩峠以外は残らないとも言ったそうである。
芥川の師、漱石も消えるのか? 鴎外も消えるのか?

介山は、これらの文学がよってたつ国家治安を許せなかったのではないか?
かれらの文学が希求する国家安寧と平穏をあくまで許す事ができなかった中里介山、彼の芯の部分が治安維持法、この法案の裏から透けてみえてくる。
治安を乱すために、介山は刺客机竜之介を、作り出したのだ。こういう形で治安維持法に対決したのだ。

tanizaki「改造」連載の中里作品『夢殿』は、谷崎潤一郎に絶賛された事でも有名である。
だが中里は、これを歯牙にもかけず無視、あたかも唾棄すべきもののように、対応している。敵は本能寺、治安維持法である、文壇の治安など、どうでもよかったのだろうが。

芥川の中里以外はすべてが消えるとの発言、最晩年の発言だけに気になるが、同時期に執筆された芥川の評論のどこにも類似の発言は見つけることはできなかった。
彼自身で記述したものの中にはないのかもしれない。
最後の評論『文芸的な、余りに文芸的な・・・』には、大衆文学としての項目はあるものの、わずか4行。取るに足らないもの、言う必要もないとでもいうような、書きぶりである。だが、なぜそのタイトル、「文学」ではなく「文芸」としたのか?
なぜ『文学的な、あまりに文学的な…』ではないのか?
大菩薩峠はどうなのか。『大菩薩峠』、これなら文学となるのではないか?

akutagawa自身の文学は単に「芸」でしかない。中里以外の全ての著作、自身の労作のすべても、単に『芸』として、いずれは消え去る・・・こういう思いが芥川をよぎったりはしなかったか?

谷崎潤一郎の絶賛を、唾棄すべきものとして、侮蔑をもって答えた介山である。
芥川身の作品の数々もまた、取るに足らないものとして、侮蔑の一閃で、却下……となるのは、必定だろう。
谷崎のもと、あるいは漱石の翼の下に生き続けてきた芥川、治安の側で、治安の翼の下に、ぬくぬくとしてあった自身の文学を、同じく唾棄すべきものとして、より一層唾棄すべきものとして、裁断を迫られたのではないか?
こういう危惧が、芥川を自死へと追い込んでいった……とか。

たかが新聞連載の大衆小説といってしまえば、それで終わる。
だが、図書館に真っ黒い手垢をつけた大菩薩峠が、それこそ、ところによっては数種類、並べられているのを見るたび、芥川の言葉を思う。
 
 
 
 
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