イガイガ本ニュ-ス【新刊2冊のお知らせ】

2017.4.1

■魚野真美・第一詩集『天牛蟲』(かみきりむし)

大阪の詩誌『Lyric Jungle』(編集:平居謙)で活躍中の若手詩人、魚野真美。
商都大坂を踏みしだいてダイナミックに開花している。
添付の挿し絵は詩篇「じん、じん、騒ぐ」から。
花が窓辺を飛び出し、ジンジン突き進んで行く……

首を吊った花
窓辺でかわいて
落ちる
・・・・中略・・・・
外へ
飛び出してゆき
飛び出してゆき
ゆきゆきて

じん、じん、
騒ぐ
     「じん、じん、騒ぐ」から

 
 
枯れた花までも元気、いいことではないか。

「大大阪純情飴雨アラレ」
「酩酊ユニバース」
「三角地帯に勇み立つ日まで」
等々
商都大阪の息吹が迫って圧巻。

 
 
 


 
 
■阿賀猥・エッセイ集『あまりにも、あまりにも』5月刊行予定

フーバー回顧録から
F・ルーズヴェルト
法然の高弟 源智
勢観房源智上人 知恩寺蔵



阿賀猥のエッセイ「詩学」連載のものから1編。
対談本『ドラゴン in the Sea』刊行後に開示された新資料で
日米開戦の裏事情を紹介する2編など。

たとえばフランクリン・ルーズヴェルト。
民主主義の旗手のようなもて方だが、実は彼は、
よほど以前から日米開戦を策謀してきた「殺人狂」とする
アメリカ31代大統領フーバー回顧録を紹介。
『ドラゴン in the Sea』上巻、真珠湾攻撃の裏事情を補強する。

ルーズベルトは稀なる美形。
人権論者の夫人のほかに数名の愛人がいた。
これは鎌倉仏教、法然にいう「内心と外相の不調」の典型的な例。
内心と外見は真逆のときが多い。
美男美女は危険ということか?

さほどの美男ではなかったが、
普遍的な正義を言い募ったヒトラーといい、
きれいごと、きれいなイデオロギーが席巻したのが20世紀。
世界中が正義やら良心やらに目覚めて走り出してしまった。
共産主義にしろナチスの思想にしろ良心にもとずいて、よき社会を目指したもの。
だがあまりにもの虐殺。
ソ連の虐殺被害者はナチス犠牲者の10倍以上にものぼる。
これをどう解釈すればいいのか?

このあたりもかの法然が有効だ。
一枚起請文「観念にあらず学問にあらず」と
正義、ないし善、良心など観念の一切を一刀両断に糾弾する法然思想。

戦後日本詩の情念の基幹でもある良心だが、
法然流にメスを入れざるをえないのではないか?
法然教理、普通に見れば、奇怪、不可思議にも見えるが、
今世紀おそらくは22世紀、23世紀へも直進、有効に稼動出来うる哲理かとも思われる。

あまりにもあまりにもの過激な教理に、口を閉じよと師を制する弟子たち、
「皆様、法然様のいうことは聞いてはいけません」と言い立てる者もいる。
「いや私は首を斬られてもいい、これだけは言っておきたい」と法然……
騒然とする中にただ一人進み出てしっかりと記録していく勢観房源智。

本稿では、若き法然高弟、源智にスポットをあて、源智の側から法然を探って行く。

法然旅(2)

自分の書いたものは、まず見ない。
当初は特にそう。
ページをめくりもしない。
めくりたくない、というより、めくることができないのだ。
 
対談者の中本道代さんもそうらしいが、
私の場合は、そこに魔のようなものを
閉じこめて来たような気がするのだ。
私の魔、ボウイの魔、エミリ・ブロンテの魔、そうして法然の魔……
犯罪者と同じ、やっと始末した。
早くずらかろう……後をも見ずに一目さんと今回も逃げるはずであった。
 
ところが今回はなぜかそれができない。
いちいち捕捉まで作り、その捕捉が又気に食わず、
いちいち捕捉に付箋をつけて、
梅原猛氏まで、問い合わせた。
果たしてこれでいいか、どうか等々。

程なく梅原氏から返事、と思って開けたら、
新刊「「葬られた王朝」。
次のページをめくったら梅原氏がセーター姿で例のニコニコ顔。
これでいい、これで進めということだな、と解釈して捕捉は終了することにした。
 
ちなみに、「葬られた王朝」は古代日本が舞台。
これまで、聖徳太子、柿本人麻呂について、通説を覆す論理を展開してきた梅原氏。
これに対して「誹謗、中傷、冷笑、黙殺が続いた」が、今ではこっちの方が通説になってきていると書かれている。
今回は、3度目の挑戦、古代歴史に挑んだもの。
アマテラスやスサノオの世界が、新たに古代からよみがえり、出雲を舞台にダイナミックに動き出している。
 
法然の場合も通説とおりとはいかない。
時は鎌倉時代。まず仏僧が今とは違う。
僧は僧でも僧兵が跋扈、高名な祖師たちも殆どが武家出身。
教理自体は穏便平和ながら、白刃、ぎらつかせて、カーッ、キーッと、切り結んでいるのが実状。
『ドラゴン6章』では、それぞれの教理も相互に激しく切り結ぶものとして解釈、今までとはやや異質の法然像になっている。

そもそものきっかけは、
明け方の4時の幻覚。
訪ねて来られたのはどなただったのか。
この方の意向で、法然部分を新たに追加したように思う。
だが、2月から3月、京都、岡山など法然ゆかりの寺を回ってみたが、どこにも似た方は見つけることができなかった。
結局、氷解したのは帰宅後。
法然の高弟、源智、うっかり見落としていたこの方の画像を梅原氏著作の中に発見。
見覚えがあった。
この方ならよく知っている、なぜかふと納得した。
 
800年の歳月を乗り越え、
はるか荒唐の地、千葉県までこられるとは!
いかにも奇怪な話ながら、源智という方は、そういう方ではなかろうか?
がっちりと、完璧に師、法然を守り、記録にとどめたい……この一念で、今も現世を歩いておられるような、気がする。
 
そろそろ4月、
今はもう明け方4時にたたき起こされることもなく、まぶしい朝日の中で目を覚ましてる。
源智様は、これら捕捉の追加で納得されたと思いたい。
捕捉を入れ込んだ下巻も今後に試みるべきかと思われる。
 
トットッと、ずらかるつもりが、
とんだ長居、どうかと思いつつ……
「法然旅」は、ひとまず、ここで終了としたい。
(阿賀)
Friday, March 29, 2013
 
 
 
 
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マリリン・マンソン

マリリン・マンソン
また一つ、法然とあまりにかけ離れたロック歌手マリリン・マンソンとを、相並べて話を進めたことにも抗議の電話があった。
マンソンと言えば、数多のロック歌手の中でも悪玉の最大手、それを聖人君子ではナンバー1の法然と並べたのか?
いかにもいかにも相反する二人である。
だが、どういうわけか、その言説が似ている。あまりにも似すぎている。

元々マンソンに近似した人がいない。
セリフも又同じ。法然にしか見つけることができなかったのだ。
逆に法然も相当な変わった人ではないだろうか、類似のことは他の誰も、書き留めていない。
仕方なく遠くアメリカまで、足を延ばすことになってしまった。

悪を暴き立てる人は多い。
親鸞は、悪いのは天皇と政府上層部としっかり決めつけて書く。
これは今時の「政府が悪い、首相が阿呆だ」と騒ぐ私達と同じ、親鸞人気の所以だろう。

ともかく悪いのは、他の誰か、自分ではない。
自分は善人が前提。この上で、物語は語られ、続いていく。
いったいその逆があるだろうか。自分は悪人と主張する人がいるだろうか?
まず悪人は本は書かない、主張もしない、歌も歌わない。せいぜい刑務所でぼやく程度。
例外がこの二人。恐らく世界に滅多にいない例ではないだろうか?
この二人だけが騒ぐ。
肌の奥まで悪が染み着いて、絶対にとれないと騒ぐ。

普通は違う。
私が悪人のはずがない、と誰もが思っているわけで、この二人に同調する人はまずいないだろう。
だからこのあたりの法然に注目した人はいないのだけれど、これもまた悪人正機のカナメの部分ではないだろうか?

法然の父、漆間時国は押領使。所領を広げるため、あるいは守るため、人殺しも強奪もやったはず。
マリリン・マンソンの父親は、ベトナム戦争。ヘリコプターからベトナム全土に猛毒の毒薬をばらまき続けた。
日本に治療にきたベト君兄弟のように、子供達は身体がくっついて生まれたり……。たくさんの人を殺してしまった。
私の中には恐ろしい父親からの悪の血が流れている
マンソンも法然と同じ思いを抱えていたのではないか。

マリリン・マンソン
若き日のマリリン・マンソン
法然の場合、外相が福徳円満なら内心は逆、内心にはマンソン姿で苦しむ法然がいるのだろう。
マンソンの内心もわからない。
『ドラゴン』ではいかにも清純な彼の幼少時の写真を添付したが、こういうマンソンがいるのではないか?
マンソンは、大勢の小学生を演壇に乗せて一緒に歌ったりしている。
世界中にファンを抱えるロックスター、彼を神様として、あがめる子供達も多い事だろう。
法然と相並べてもそう、そうおかしくは、ない人物かもしれない。

あの穏やか円満な法然であるのに、ここまでたびたび法難に見舞われた人はいない。
1つは選択集への批判。時の高僧、明恵は法然、選択集を標的として、立て続けに『摧邪輪』『摧邪輪荘厳記』の2冊を刊行、徹頭徹尾、選択集を非難しまくり、法然を「犬畜生」とまでののしっている。
だがどうしたことか、法然側では特に抗弁もしないままに終わっている。
法然流罪については、その大著『教行信証』で、主上が悪い、政府が悪いと書き立てた親鸞も、これには沈黙、『摧邪輪』への論駁はなされていない。

ここまで言われて黙っているのも、どうだろうか?
その代わりに、と言っては変なのだが、今回、『ドラゴン6章』は『摧邪輪』の細部に分け入り、明恵への反論を試みた。

明恵は70巻もの書を残したそうだが、他はともかく『摧邪輪』については脆弱、凡庸である。法然『選択集』には足元にも及ばない。

ドラゴン対談者は全員、無宗教。うち一人はキューピー人形を神棚において拝んだりの情けないテイタラクではあるが、つまりかなりお粗末でもOKだが、摧邪輪には閉口した。
たがこの摧邪輪を念頭におくことで、「一枚起請文」にしろ「教行信証」にしろ、その意味が鮮やかに立ち上がってくる。

特に「一枚起請文」、「一文不知」のくだり。
文字や言葉を、また学問を知ることで、私たちは多くのものを失い、取り返しのつかない不幸を抱え込んでしまった。
知の原点、「学問」にグサリと楔を打ち込んだ名文だ。

また一つ、『一枚起請文』の眼目としての「観念」の否定。
明恵でいえば、菩提心や清浄心,『ドラゴン』でいえば、正義や善、これら言語のもたらす概念のタグイをまとめてバッサリ、『観念の念に非ず』と否定してしまった。
圧倒的な自信を背景とした法然の独断、何とも鮮やかだ。

当初、一枚起請文を摧邪輪への抗弁と見た。
それほどみごとに摧邪輪の細部までを見通したかのごとき完璧な反論となっている。
ところが実際には『摧邪輪』の刊行は、法然の死亡後の翌年。
おそらくは法然側では今後に起こるであろう、『選択集批判』を的確に予測、それへの対応策として準備されたものだろう。

法然の死に相前後して起こった旧仏教側からの法然バッシングが、かえって法然人気に火をつけたとも言われるが、一挙に法然ブーム、これでは日本中が法然一辺倒になると、日蓮まで嘆かせたのも、ひとつには、この名文、『一枚起請文』の力だろう

津々浦々の誰もが理解したであろう簡潔な短文。
だが高僧、明恵だけが、解読できなかった。
あまりにうず高く積みあげた学問の山に閉ざされて、じかに日常を見る視力を失っていたための解読不能ではなかったか?
簡単明快な『一枚起請文』をまったく理解できないままに、『摧邪輪』『摧邪輪荘厳記』の二書を刊行、法然打倒のつもりが、いやましに法然の魅惑を喧伝する結果を招いてしまったと見る。

法然の高弟 源智
法然の高弟 勢観房源智上人 知恩寺蔵
法然は「一枚起請文」執筆のその2日後に死亡している。
書かせたのは源智である。悪人正機説を記録したあの同じ源智が最期まで法然に付き添い、執筆を懇願したとされる。

源智は平重盛の曾孫。
画像では女性的な風貌だが並の人ではないのだろう。
あの豪壮広大な知恩院、知恩寺を建立するほか、異常な執念で法然のその後を延々と守り抜いていく。
 
 
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ドラゴン in the Sea 上「はじめに」

ドラゴン in the Sea 上 阿賀猥×中本道代×戸沢英土
ドラゴン in the Sea 上 阿賀猥×中本道代×戸沢英土JO5の流れを受け継ぎ、満を持して登場した『ドラゴン in the Sea 上』。
今回は、まえがきを全文公開いたします。
 
なぜタイトルが「ドラゴン」なのか。龍にも色々あるのに、なぜ「in the Sea」、海の中なのか。
ちょっと長めですが、ご一読頂ければ幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに


阿賀猥
 

その昔は神様といえば蛇ないし龍。
世界各地で祭られていたようだ。
稲作農耕の日本では、水の神様として龍神信仰が今も各地に点在、なにかとドラゴンはなじみ深いが、蛇ないし龍が王家の妻として登場しているのに注目した。
 
妻は妻でも刺身のツマのようではなく妙に大きい。
たとえば神武天皇の祖父山幸の妻、豊玉姫。
彼女の産屋が宮崎県の鵜戸神宮に残っているが、八尋(約十五メートル)もの巨大蛇であった。
海神ワタツミノミコトの娘で、出産後は子を置いて独り、海に帰っている。
その置き去りにされた子供、つまり神武の父、ウガヤフキアヘズもまた豊玉姫と同じく海神ワタツミノミコトの娘、玉依姫と結婚している。
おそらくは彼女もまた巨大蛇であったろう。
 
環太平洋ではカンボジア。
アンコールワットも王宮であると同時に巨大蛇ナーガの館。
巨大蛇を妻として毎夜その妻に仕えるという責務が王にあった。
恵みの雨を降らせるありがたい優しい龍ではない。
海を動かし陸を壊す強暴巨大なドラゴンの存在があり、この対策が国家的規模で最重要の課題としてあったのだろう。
海に従う、海を祭る、という形で王家との婚姻がなされたように推測される。
 
特に山幸は、龍宮からの帰還に際して玉手箱ならぬ潮満瓊(シオミツタマ)と潮涸瓊(シオヒノタマ)の二つを海神から貰い受けている。後者は海の水を引かせる働きをし、前者は海の水を溢れさせる働きをする。
まさに津波対策である。
先史時代、環太平洋地帯は今と同じく大津波のすさまじい惨禍を受けたことがあり、その記憶がこれらの土台にあるかと思われる。
 

本稿開始は七年前の二〇〇四年、思潮社小田久郎氏からの電話が発端。
私は当時の新聞記事、
 

「AV女優の志願者が急増している。
 それも旅行会社勤務の女性が多い。
 彼女たちは旅に出ようとしているのではないか?」

 
について、喋った記憶がある。
彼女たちは不特定多数に下半身を開くことで、普遍への道を探ろうとしているのではないか?
そういう目線から世界を見直すことができるのではないか?
そこから新しい広やかな世界へと抜けることが、できるかもしれない。
 
低いから見えないということはない。
低きに低き視点、それゆえにこそ開ける世界があるはずだ。
天をかけるドラゴンではない。
地の底をくねり、世間の塵芥の下、汚泥の中を転びながら、這いながらも、なおも生き続ける私たちの中のもう一つの私「ドラゴン」について、小田久郎氏に奇妙な私信を書き綴ったことがある。
 

前半は1章から3章、ヨーロッパの底の部分から、世界を見渡していく。
国富論がその基盤に抱え持つ長篇詩「ブンブン不平を鳴らす蜂の巣…」、エミリ・ブロンテが「嵐が丘」に隠蔽した奇怪な愛、そしてヒトラー。
雨樋の裏、教会の椅子の裏に彫り込まれた小さな豚の絵から、ホロコーストを追う。
 
後半は4章から7章。
法然、親鸞の思想を現代ロック、デビッド・ボウイ、マリリン・マンソンの歌詞との近似に注目、日本仏教の過激な起源を探る。
その起源、大乗仏教の元祖龍樹の見事な詩行「中論」、そしてそこを貫流するレンマの論理。
西洋ロゴスの論理を軽やかに切り崩していくレンマ、レンマは殺人鬼机竜之助をまた怪物エミリ・ブロンテを許容できるのか。
かくて最後に龍の論理。論理のすべてを許容するかに見えてあるときは一切を破砕する龍の論理。
言語を持たないもの、明確な姿をさえ持たないものたちの無念とその意思を抱え持つ龍の論理、つまりは大自然の意思、これらを感知できるのかどうか?
 

私たち対談者三名はかつての山幸のように、まずは海へと潜ることで作業を開始した。
廃棄された資料、無視された過去の事実を拾い起こし、探ることでドラゴンの意思を読み解こうとした。
キリストの愛、釈迦の明晰が覆う固い強固な地層を壊し、その下にあるものを見ようとした。
 
対談者はそれぞれ資料を持参。
相互に読み合わせながら作成、話題が多岐にわたったため、多くの専門分野の方々に点検を依頼した。
 
長野県の山中、昆虫を追う筑波大学研究員福井眞生子氏、同じく筑波大学物理学研究者、また現代企業最先端を生きる方々、仏教研究者の方々など、二十名以上の方々から大量の資料もいただき納得のいく補正をすることができた。
 
特に上巻は3章経済学を小林健吾氏に、
1,2章を梅原猛氏に点検を依頼、梅原氏には病気静養中にかかわらず、次々に未完成原稿を読破いただき
 

「過激だがものすごい面白さ、あなたはニーチェを思わせる」

 
など、嬉しいエールをいただいた。
ここに御礼を申し上げたい。
 
 
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誕生寺

お地蔵様
明け方4時、毎日4時、戸を叩く音で目を覚ました。
朝まで所在ないので、法然を調べ始めたのが発端。
ドラゴンは3人での対談本。
3人で宗教を喋り出したら収集がつかなくなる。
宗教は親鸞だけ、他は喋らないで行こう……こう3人で取り決めていた。
3人三様、資料は大量に集めたが、見ないままでおこう、と思っていた。
 
明け方4時、目の前にあったのが法然の資料。
ろくに読みもしないままに放り出していた法然、選択集。
所在なくてこれらを読み始めた。
 
常時1時就寝、4時起床。
1か月、小さなコツコツは続いた。
目を凝らして戸口にひっそりと立つその人を盗みみたことがある。
誰なのだろう。見たこともない人であった。

岡山県美作(みまさか)の誕生寺についたときは、みぞれ混じりの雨。
寺で小さなお地蔵様を買った。

お地蔵様
かなりピンぼけ。
お地蔵様が恥ずかしがって写りをボカしてしまったか。

ここは法然の父、漆間時国の屋敷があったところ。
法然はここでうまれた。
法然15歳、都へ出立する我が子に時国は「自分はまもなく殺されるだろう。
菩提をとむらってくれ」と言ったそうである。
言葉通り、まもなく、ここで両親は夜討ちにあい、命を落としている。
 
危険と判っていながらなぜ逃げようとしなかったのか。
殺されても当然として死を甘受したのか。
時国は押領使。所領を守るために、あるいは広げるために、殺されても仕方にない非道のをやってきたのかもしれない。
我が命を守る資格はないと、観念していたのか、
 
ここでまた悪人正機説を思った。
悪人とは誰か?
人それぞれに思いがあるだろうが、法然の場合は、まずは自分自身だろう。
自分こそは悪、父時国の悪の血をひいた悪、この悪をはがす事はできない……
このあたりで、法然は、アメリカロック歌手、マリリン・マンソンへと重なっていく。

ドラゴン下巻では、法然をマンソンと並べたことに反発する方々が多かった。
だが二人は酷似している。
アメリカ兵士として、ベトナム全土に毒薬をまきちらし、多くの人を死に導いたマンソンの父親……
人殺しの悪の血が、僕の全身を巡る、これは取り外せない……こうマンソンは歌う。 
ケバケバしい衣装と奇怪なメークで、世界中で歌い歩くマンソンになどに、似てるなど言われたらさぞや迷惑なさるかもだが、他に自分は悪と騒ぐ人はまず、いない。
ここはやはり二人並べるしかないかと思う。
 
 
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治安維持法と『ドラゴン』

幸徳秋水
中澤俊輔著『治安維持法』¥860を購入した。
実際の治安維持法自体は1925年の制定だが、同書は1900年の治安警察法からはじまり、1910年の24名の死刑判決を導いた大逆罪、またその後に起こった事件まで、広範囲にスポットをあて、治安維持法として論考したもの。
表紙の帯に「稀代の悪法は民主主義が生み、育てた」と大書してある。
民主主義について、一般的な見解を真っ向から覆しているのに注目した。

三浦瑠麗著『シビリアンの戦争』もタイトルの後に、「デモクラシーが攻撃的になるとき」と副題をつけている。
つい今までは何はともあれ民主主義であったのが、相当に様変わりしている。
民主主義とはいったいなんなのか?治安維持法や軍国主義とは、相対立するものとされてきたのだけれど、そうではない、ひょっとして、同じものではなかったか? とさえ思われてくる。

幸徳秋水イガイガ本シリーズの、『ドラゴンin the SEA』では、直接『治安維持法』に触れた部分はないが、大菩薩峠の作者 中里介山が、幸徳秋水に私淑していたことから、秋水と同じくこの悪法の犠牲となった小林多喜二にまで話題が進み、二人の代表作の表紙を写真入りで紹介している。

『ドラゴン』の場合は青春時代を軍国主義で明け暮れた92歳の対談者、私の母親を話題にしているが、彼女は当時としては珍しいまでの自由な環境にあったせいか、根っからの自由主義者であり、民主主義ニンゲンであった。
だが同時に熱烈な軍国主義者でもあったわけで、2・26事件の首謀者に同情、その処刑を決定した政府に憤り、処刑の日には女学生は全員で集まって大泣きしたことなど、繰り返し聞かされてきた。

小林多喜二当時、民主主義の究極として軍国主義が台頭していたのではなかったか?
当時民主主義とは軍国主義ではなかったのか。
「攻撃的になった民主主義」としての軍国主義ではなかったのか?

一般的な見解とは逆になるが、イガイガ本「ドラゴン」では、昭和天皇側近を勤めた木戸幸一日記を紹介、スペイン思想家オルテガの著作も引用して、この見解をカバーしている。

小説では、林芙美子の『浮雲』。
当時の占領地、南方諸国へ新しい未来を見つけて旅立つ青年群像を活写、当時の熱気が伝えている。
このあたりが軍国日本の実態ではなかろうか?
国をあげて老いも若きも軍国日本に沸き立っていたのだ。
「民主主義イコール軍国主義」では戦後思想は壊れてしまう。
戦後の小説のいくつかが、成り立たなくなるかもしれないが、だが実情はこうではなかったか?

話は中里介山である。彼を駆って大長編『大菩薩峠』を書かせたのは、政府の治安体制への憤りだろう。直接には幸徳秋水以下24名が実刑判決を受け、
うち12名が処刑された大逆事件への怨念である、この大逆事件に幸徳秋水ほか、中里の周辺にいたものの幾人かが連座、命を落としている。1900年の治安警察法、1925年の治安維持法、これら悪法への怨念が、介山の生涯を支配、大著を続行させたかと推測した。

大逆事件は1910年、死刑執行は翌年1911年。
翌々年の1913年には「大菩薩峠」の新聞連載が開始されている。
だがこの大菩薩に関しては連載の前に自身で活字を組んで印刷、小冊子にして、持ち歩いて誰彼に見せている。
中里は当時、すでにいくつか新聞連載も経験していたわけで、大菩薩もまたいずれは、掲載可能なはずを、なぜそこまでして、印刷配布したのか?
秋水を思い、友人たちを思い、じっとしてはいられなかったのではないか?
 
 
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