山岡遊主宰「詩の虚言朗読会」最終回を終えて

2013年から開催されてきた、
山岡遊 主宰「詩の虚言朗読会」は
本年4月1日、第9回目をもって最終回となった。

分かりやすい詩、かなり砕けた詩編が中心。
ダイナミックな朗読で、毎回盛況、
自由奔放、にぎやかな展開で場内を沸かせた。
終演の理由は、山岡遊氏が故郷土佐の高知への帰還のため。

私は加藤温子さんの紹介で山岡氏を知った。
温子さん曰く、
「どういう場合も彼は正しい。彼は誠実だ。彼は間違わない」

私はそうは思わない。
山岡遊は、しょっちゅう間違え、
四六時中騙され、そして泣いてる。

つまり彼はいつも青春時代ってことだ。
飽きもせず、懲りもせず、青春時代ってことだ。

最終回で面白かったのは、
井川博年「ゴシップ歌謡曲」と
山岡遊のギター弾き語りで「ろくでなしのラブソング」の2編。
 


 
ゴシップ歌謡曲  井川博年

青江三奈は哀しい。いつ見ても同じ髪型。金粉や銀粉が光る不思議な髪。寝る時も首にガーゼを巻くというその心がけも哀し、

藤圭子は哀し。盲目の母がいるという。さすらい流れた幼い日々があるという。川端康成がテレビで見て、会いたいというので、鎌倉の川端邸で、肩たたきをしたという。その話もまた哀し。

こまどり姉妹は哀し。再起の望みのない病とか。疲れた厚化粧と,良ければよいほど目立つ着物と、「見る度に不快だ」という学生が多かったのも哀し。人情紙のごとし。浅草も哀し。

淡谷のり子も哀し。わが友Iがアルバイトで楽屋にコーヒーを届けると、女史が老眼鏡をかけ一人毛糸の編み物をしていたという。女史の手元の毛糸の色哀し。

都はるみも哀し。こども時から歌をうまく歌えぬと、おやつももられなかったという。うなり声と小節を出すのに何度も喉をつぶしたという。最上級の着物も哀し。

菅原ツヅ子も哀し。あの奇妙な節まわし。古賀政男の養女になっていたというのも哀し。菅原ツヅ子を養女にした古賀先生の孤独も哀し。

美空ひばりも哀し。奇抜な服装と、一筋の涙。天才は哀し。音符が読めないという話も哀し。自ら下手な作詞をするのがさらに哀し。足の痛みをこらえて舞台に立つ最後の日々の昼食は、ショーチューとチャーシューメンだったという。ああショーチューとチャーシューメン。

 


 
ろくでなしのラブソング  山岡遊

 


イガイガ本ニュ-ス【新刊2冊のお知らせ】

2017.4.1

■魚野真美・第一詩集『天牛蟲』(かみきりむし)

大阪の詩誌『Lyric Jungle』(編集:平居謙)で活躍中の若手詩人、魚野真美。
商都大坂を踏みしだいてダイナミックに開花している。
添付の挿し絵は詩篇「じん、じん、騒ぐ」から。
花が窓辺を飛び出し、ジンジン突き進んで行く……

首を吊った花
窓辺でかわいて
落ちる
・・・・中略・・・・
外へ
飛び出してゆき
飛び出してゆき
ゆきゆきて

じん、じん、
騒ぐ
     「じん、じん、騒ぐ」から

 
 
枯れた花までも元気、いいことではないか。

「大大阪純情飴雨アラレ」
「酩酊ユニバース」
「三角地帯に勇み立つ日まで」
等々
商都大阪の息吹が迫って圧巻。

 
 
 


 
 
■阿賀猥・エッセイ集『あまりにも、あまりにも』5月刊行予定

フーバー回顧録から
F・ルーズヴェルト
法然の高弟 源智
勢観房源智上人 知恩寺蔵



阿賀猥のエッセイ「詩学」連載のものから1編。
対談本『ドラゴン in the Sea』刊行後に開示された新資料で
日米開戦の裏事情を紹介する2編など。

たとえばフランクリン・ルーズヴェルト。
民主主義の旗手のようなもて方だが、実は彼は、
よほど以前から日米開戦を策謀してきた「殺人狂」とする
アメリカ31代大統領フーバー回顧録を紹介。
『ドラゴン in the Sea』上巻、真珠湾攻撃の裏事情を補強する。

ルーズベルトは稀なる美形。
人権論者の夫人のほかに数名の愛人がいた。
これは鎌倉仏教、法然にいう「内心と外相の不調」の典型的な例。
内心と外見は真逆のときが多い。
美男美女は危険ということか?

さほどの美男ではなかったが、
普遍的な正義を言い募ったヒトラーといい、
きれいごと、きれいなイデオロギーが席巻したのが20世紀。
世界中が正義やら良心やらに目覚めて走り出してしまった。
共産主義にしろナチスの思想にしろ良心にもとずいて、よき社会を目指したもの。
だがあまりにもの虐殺。
ソ連の虐殺被害者はナチス犠牲者の10倍以上にものぼる。
これをどう解釈すればいいのか?

このあたりもかの法然が有効だ。
一枚起請文「観念にあらず学問にあらず」と
正義、ないし善、良心など観念の一切を一刀両断に糾弾する法然思想。

戦後日本詩の情念の基幹でもある良心だが、
法然流にメスを入れざるをえないのではないか?
法然教理、普通に見れば、奇怪、不可思議にも見えるが、
今世紀おそらくは22世紀、23世紀へも直進、有効に稼動出来うる哲理かとも思われる。

あまりにもあまりにもの過激な教理に、口を閉じよと師を制する弟子たち、
「皆様、法然様のいうことは聞いてはいけません」と言い立てる者もいる。
「いや私は首を斬られてもいい、これだけは言っておきたい」と法然……
騒然とする中にただ一人進み出てしっかりと記録していく勢観房源智。

本稿では、若き法然高弟、源智にスポットをあて、源智の側から法然を探って行く。

最終回・虚言朗読会『背走する太鼓』告知


 
 
ついに最終回を迎える詩の虚言朗読会。
最終テーマは
『背走する太鼓』
 


 
出演
阿賀猥
杉本真維子
山岡遊
X(謎の詩人?)

オープンマイク大歓迎!!
 


 
開催日時
2017年4月1日(土)
午後6時・開演

 
会費
2000円(1ドリンク付き)
 
 
会場
カフェ・ギャラリー・シャイン
ライブ会場としても40年の歴史を持つ、老舗カフェです。
 
〒330-0071
さいたま市浦和区上木崎1-9-20
Tel 048-833-1045


 
京浜東北線・与野駅
西口から左へ駅沿いに進むと、
レンガ造りの建物がございます。
「SHINE」の看板が目印です。
徒歩30秒ぐらいの距離です。
 
武蔵野線でお越しの際は「南浦和」から
京浜東北線(浦和・さいたま新都心・大宮方面)にお乗り換えください。


 
 
ご来場、心からお待ちしております!
 
 


連絡先 彩の国夢探偵団・山岡
(携帯)080-5060-2529
(自宅)048-822-2529

新刊告知◆魚野真美 第壱詩集『天牛蟲』(かみきりむし)

関西は大阪が産んだ新進気鋭の大型若手詩人 魚野真美(ウオノマミ)
平居謙編集の詩誌『LyricJungle』を中心に、
不穏で、繊細で、力強い詩篇を次々に発表。

「何処かで壊れたのかも」と魚野。
壊れても進む、魚野の世界。

魚野真美、初めての詩集に込められた
未来を見据える若き眼から見えたもの。

編集も大詰めを迎え、いよいよ完成も間近。

近日刊行『天牛蟲』(かみきりむし)
どうぞ、ご期待ください。

近日刊行『谷絵 -谷敏行遺稿画集-』

『谷絵』

『谷絵 -谷敏行遺稿画集-』
異能の画家、谷敏行が遺した怪画の数々を収録した遺稿画集、
近日刊行いたします。

『谷絵』2-3

2011年7月に逝去した谷敏行。
彼が生前制作した作品は多岐に及びました。

写真・タバコB

大型絵画、油絵制作、
ロック雑誌『SO WHAT』カバーデザイン、
イラスト、挿絵制作や、
詩誌『JO5』イラスト、漫画制作、音楽作曲で活躍。
その作品群を1冊にまとめました。

醜悪な精神2「リチャード・ドーキンス」

とタラタラ続けてきて、ここに来てハタっと思い出したのが、
遺伝学者リチャード・ドーキンス先生。

ご存じ二重螺旋の発見者、
今世紀最大の発見を成し遂げたとされる人だが、
この人にあっては上記のようなタラタラは許されない。
このバカタレと怒鳴られだろう。
刹那だって?一瞬だって?
馬鹿抜かすな、ごまかすな、ってことになるだろう。

事は毎日毎日なのである、
毎日毎日、人たるもの醜悪で一貫しているとおっしゃるのだ。
つまり、あちら様は科学者、
古来より今まで、長々と、かつ、あちらもこちらも広範囲に広々と、
一貫して共通して流れるヒトたる者の定則を
取り出されて醜悪の精神をおっしゃるのだ。

頭のテッペンから足の爪の隅々まで、
細胞の1つ1つも例外なく、かつ話は遺伝子世界だから、
その寿命も億年万年を生きるミトコンドリアのレベル、
億年万年長々と悪の精神一本槍。
強きになびき、弱きをくじき、弱きをいじめ、
弱きを倒し、弱きを食って、弱きを食い散らして……
こうして生き残った悪のエリートというのだ。

ゲンジツはキビシイ。
生き残るにはこれしかなかった……
というとちょい惨めったらしい話にもなるのだけれど、
エリートと言うあたりはポイント、
誉められている気もするから、
このあたりで、気をよくしてもいいかもしれないが、
この外にもう1つ、美貌との関連だ。

ドーキンス写真
ドーキンスの若き日の顔写真。
彼の発見はともかく、彼の論理のほうは当然ながら、
非難ゴウゴウ、あっちにもこっちにも嫌われたためか、
それこれあちこちに反駁文を書きまくり、
目下はパッとしない爺さん顔が出回っているが、
若き日を見るならまさにニュートン以来の美貌ではないか?

「真なるものは簡明だ」

 

昨今、大発展を遂げた物理学の世界。
学者たちは複雑怪奇な数式をあれやこれや書き連ねたあげくにある日、
奇妙に簡単な短い数式にぶち当たり、ふと漏らすのがこのセリフ。

これにもう1つ、発見者ドーキンスの美貌に
あやかって加えてもいいのではないか?

「真なるものは美しきかな」

 

その正確かつくわしい理由は後回し、後でゆっくり考えるとして、
まずはドーキンスの美しきカンバセを心に留めておいていただきたい。

つまり、神尾和寿詩編、醜悪なる精神の
グラマラス軍団を美女集団と見たのは、1つにはここからだ。
「悪」が基本形。
基本を隠さずモロだしにする、簡明なるは、真。
真なるものは美しい。よって醜悪なる者は美しいのだ。
(これも変?変なるものは美しきかな?)
 
 

悪人正機説


 

イカレた事をいいだすのはその昔からイギリスのお家芸。
ヒト=醜悪なんぞ厄介かつ不快は
たとえ真実そう思っていても普通は言わないもの。
英国人となると、それをまた臆面もなく大声上げて、世界に向けて喚き散らす。

ローリング・ストーンズやらセックス・ピストルやら、
悪玉系ロックアーチストの元気な方々を見るに
この奇妙な論理も英国専売特許かと思われるだろうが、これは違う。

その歴史的な古さから見ると、我がジャパン国。
なんと1300年代の鎌倉時代、法然と親鸞の悪人正機説。
この二人が、まずはガンガン喚き出したのだ。

奇妙な論理だから、実は逆説なり……とかややこしい解説をいう人も多いが、
なんせ単純明快、簡単安直をモットーとする法然と親鸞、
これはもう単純に、「悪人は正機」
つまり「悪人は正しい」と解釈するしかないだろう。
つまり醜悪なる者は正しいのだ。

法然か親鸞か。
どちらが先にこれを唱えたか?
いままでは親鸞の説と見られていたが、
より古い法然の関連文書が出てきたため、最近は法然の説が有力。
私から見ると、これは資料あるなし関係なしに法然。
親鸞は師の説はちとおかしいとたとえ思っても、
ひたすら正しいと盲信して、
師の説を広めんとして、喋っていたかと思われる。

なぜかそう言うのか?
悪人の方が善人よりただしい理由を親鸞はカケラも書いていないからだ。

親鸞は晩年にあっと驚く大冊、教行信証を執筆。
これだけあれば何処かにはあるだろうと
しつこい私は目をサラにして探したが見つからない。

親鸞は書きたくとも書けなかった。
実は親鸞、その理由がわからなかったのではないか?
なぜ善人より、悪人の方が正しいのか、分からなかったのではないか?

かたや法然、
抜群の頭脳とされながら著書はわずか。
そのわずかの中の1冊選択集にスバリ、その理由を書いている。

謂はく外相と内心の不調の意なり。
即ちこれ外は智、内は愚なり。
善とは悪に対するに辞なり。
謂はく外はこれ善、内は即ち悪なり
(前掲『選択本願念仏宗』)

 

私たちの内心と外面は違う。
同じには動かない。
外見が知恵者のように見える人は、その中身は愚かであったり逆に動く。

善と悪はただ単純に相対する言葉にすぎないもの。
(それぞれに固有の実体を持つものではない。
 元は一つのもの。
 1つのものがこの相対する2つの性格を同時に持っている)

だから外側に善がでている時は、
内側つまり心の内部にはその逆の悪が出る。
つまり善人と見える人の内部はドロドロの悪で満ちている。
悪人はこの逆。
内部には「善」が詰まっている。
外見はどうあろうと内心は美しき人なのだ。

カッコ内は個人的補足、
やや詳しく口語訳を試みたが、ここで、さてどちらのタイプがいいのか?である。
悪モロだしと悪の隠蔽と、どちらの方が正しいか?
法然は前者、悪人を選択するのである。
悪モロだしの悪人の方がいい。
悪人の方が正機である……こう断定したのだ。

以上、
一種、深層心理学である。
目下はフロイト、ユングが席巻。
外部に吐き出された言葉を信じる者はいない。
言葉の世界、モロモロの哲学論理もすっかり意気消沈、
ロゴス殿は地に落ちてしまった。

言葉ではなく、その裏を探る。
問題は内部。言葉はその内部を探るヒントでしかない。
これが現代。つまり法然セリフでいうなら、外相ではなく、内心。
内心を注目する。
はるか昔、心理学もない700年も昔の親鸞が
解読できなかったのも無理はない。

しかし法然は別、
法然だけは悪人正機の理由を明快に記述、
ついては神尾詩編に登場の醜悪精神モロだしグラマラス女性軍団を
美貌の理由をも鮮やかに明示するのだ。

「醜悪なるものは正しい。正しいものは美しい」

 

法然の選択集は出版されたのはずっと後になるが、
それまでは高弟にだけ配布、門外不出となっていたもの。
何事もお見通しの法然は出版したらどうなるか、
それをしっかり予見されていたわけで、
出版されるやいなや非難ゴウゴウ、
あちこちから総スカンを食ってしまった。
その一番は明恵。