醜悪な精神

健全な精神というのはよく聞く言葉だが、
醜悪な精神というのはきいたことがない。
空飛ぶキリン社刊『ガーネット』78号の、神尾和寿詩篇の2編は、
そのあまりなじみのない精神を書いて出色。

夜のお店で考えてみる


 
はち切れそうな肉体に
醜悪な精神が宿っている
そのようなくみあわせのいきものたちに
囲まれて、
さっきから息をだしいれしている私とは
誰なのか
オッパイが弾丸のように躍動しながら
容赦なく迫ってくる
その間に挟まれた頭を
ひねりながら
もう一度よーく考えてみる

 

状況は簡単ではないらしい。
官能的なようで見えて、イヤ、まて、
頭をひねって考えなきゃいけない、となると
早々いい気分にはなれないものの、けれど
「醜悪な精神」というのはいい。
そして「はちきれそうな肉体」!
もうこれは何よりだ。

グラマラスな女性軍団で、悪知恵満載というなら、
それはもう特上美人に決まってる。
そういう美女軍団に頭を挟まれる……
なんてどういう事情であれ、滅多にない果報者ではないか。

まずは醜悪な精神がポイント
グラマラスでも善良な精神となるとこうはいかない。
その手の女もおおむねは腑抜けで阿呆。
ドロンとしてだらけたのが多い。

普通、詩に登場するのは、こっち、善男善女。
皆して腑抜けでドロンとだらけている。
こういう人間ばかり見てるとこっちまでドロロン、ドロロンしてきて健康上にも良くない。
神尾詩編は詩が生気をキャッチ、
ぱっちり目覚めた瞬間を活写している。
これが見事だ。健康にもいい。
そしてもう1編。

フライパン


 
みんなに隠してきたぼくの
裸をきみにだけは見てほしい
ぱっと
脱いだ
ポーズを決めたあとで
(後略)

 

これもビックリ、ハテ何事か?と目が点になる。
フランス映画ではなかったか?
……整備された広々の公園、
口髭紳士がやおらコートを脱ぐと、中は素っ裸、
それを小さな子供達が黙って眺めている……こういうシーンがあったような気がする。
漫画だったかな?

どこにでもあることなのか、
千葉県は市川市、かっての我が家の近所でも類似のことがあり、話題をさらった。
頭は七三に分けて黒縁メガネ、それはそれは真面目な息子さんなのだが、
ある昼下がり近所界隈を次々訪問、
玄関先で、パラリと全裸となられて、「見て、見て」と秘めたる部分を、提示されたのだ。

奥様方はびっくり仰天、
キャアキャアまさにキャアッキャア、
辺り一帯は大騒ぎ、常日頃は眠ったような界隈がやたら活気づいた事があった。

三島由紀夫みたいに日頃ボデイビルで鍛えあげた身体ならいいが、
この詩編の主人公はその肉体を長年秘めてきたそうだから、
おそらくは脂身タップリの真っ白けでブヨブヨのはず、見よいものではあるまい。
 

プヨプヨおじさん
(その想像図として上にかかげたのは、私がハンドバッグに隠し持つカード入れの表紙。
 渋谷の雑貨店宇宙百貨で¥350で買ったものだが、このくらいの脂身か?)

美的とはなかなか言いにくいが
長年秘めて来たのだから、何らかの価値があるのだ。
彼一番の宝物だったり?
僕の宝は彼女の宝と、一人思い込んで、おそらは長年の憧れの君、
素敵な彼女に開陳なんて!なんとも健げでイジラシイではないか!

双方とも毎日毎日、それで一貫しているわけではない。
女性軍団だって毎日醜悪ではくたびれる。
全裸志望も同じ、
今日のような暖かな日ならともかく、
酷寒の日なんぞは、思いも寄らぬこと。

だが、ある一瞬の思い、刹那の衝動だからといって、
そうでないものより、価値なしとしてはいけない。
毎日毎日の長々ダラダラ思いより無価値とは、限らない。
それは我が身を活性化させるだけではない、
思いがけないものだってもたらしてくれる。

おなじみ世界の大富豪、ロスチャイルド氏は言う。
「肝腎なのは空中を舞っているもの、
 見えるか見えないかの小さな粒子だ、それを掴まえること。そこに全てがある」
氏のいうことだから話は金儲け。
金儲けの粒子のことか?

そういうものは、そこらに暢気に転がってるものではない、
よくよく注意して、刹那をキャッチしなければならない。
刹那の思いの方が、瞬時の衝動のほうが、より大事というのだ。
作者は古来より商人のまち神戸の詩人、神尾和寿氏。
皆で神尾氏を見習って大富豪を目指そう!(ちょっと変かな?)
 

リチャード・ドーキンス


 
とタラタラ続けてきて、ここに来てハタと思い出したのが、
遺伝学者リチャード・ドーキンス先生。

ご存じ二重螺旋の発見者、
今世紀最大の発見を成し遂げたとされる御方だが、
この人にあっては上記のようなタラタラは許されない。
このバカタレと怒鳴られだろう。

刹那だって?一瞬だって?
馬鹿抜かすな、ごまかすな、ってことになるだろう。
事は毎日毎日なのである。
毎日毎日、人たるもの醜悪で一貫しているとおっしゃるのだ。

朗読舞踏『ベンケイガニ』公演

11月29日、埼玉与野市。
山岡遊主宰、詩の虚言朗読会『夢の罠』。
イガイガグループは総勢5名で参加。
舞踏朗読「ベンケイガニ」以下3詩編を公演、喝采を博した。
 
2015-11詩の虚言朗読会_001
 
とはいえ詩編自体はよく見ると、かなり厄介な内容。
全部で20分もの長編。
ただし詩の制作時間は数分。
初めは意味がよく解らなかったが、踊ることで見えてきたものがある。
 
2015-11詩の虚言朗読会_002
 
発端は、その昔に見たカニの生態を追ったTVの科学番組。
夜中、家々のどこからかカニが1匹2匹と這いだして、
通りを軍隊のように列をなして移動していく……
みんなで街路を行進して浜辺にワンサカと集まるのだ……
 
それからどうなったか?
はるか昔の記憶で、内容は覚えていない。
果たして元の家にカニたち戻れたのか。
または、そのまま海の底に突き進んで行ったのか。
その昔、四国は壇ノ浦に沈んだ平家の人たちのようにである。
 
2015-11詩の虚言朗読会_003
 
栄養栄華、楽しく豊かに暮らしていても、その先はどうなるか解らない。
カニの場合は、潮の満ち引きで動く、つまりはお月様に支配されている……という説がある。
民主主義と平和を掲げて、愉快に楽しく暮らしていてもそれこそは「夢の罠」
ひょっとして、私たちもお月様、または、もっと遠い星の意向で、動かされていたりはしないだろうか?
 
 
 




ベンケイガニ
2015-11詩の虚言朗読会_010
 
セッセと努力、富国強兵となっていった戦前の日本人ないしは、
いっそうの繁栄を求めて原発建設、
世界にも原発輸出して意気盛んな近未来を想定しての背景。
そこへ敵機襲来。
原発にミサイル命中して原発爆発、
国土は火炎地獄となって皆死に絶える……
 
 


幽霊蟹
2015-11詩の虚言朗読会_009
 
原発爆発で死に絶えた蟹たちだが漸次幽霊蟹となって動き始める。
もう死んでいるのだから、文句も言わない。
戦勝国に言われるまま、「平和と民主主義」の衣を着せられて、
命ぜられた通りに「平和」と「民主主義」を踊り始める。
どこか空疎な「平和踊り」。
どこか画一的「民主主義踊り」を踊る幽霊蟹たち。
 
 


原発ヤクザ
2015-11詩の虚言朗読会_0082015-11詩の虚言朗読会_007

ベンケイガニ集団が変身した深紅の生命体。
幽霊ガニ集団が変身した漆黒の生命体。
……ともに原発ヤクザとして2匹で踊り始める。
天空を悠々と滑空し、蟹集団の「生」と「死」の双方を称えて舞い踊る。
 
 

 


 


 

今回の朗読舞踏、
概要を書き連ね、ふと、私たちを背後で支配するものを思った。
蟹たちを支配する「月」、
それに呼応して動く何かが蟹たちの体内に埋め混まれているはず……
私たちもなにか、埋め込まれているのではないか?
 
2015-11詩の虚言朗読会_赤_004
 

口先では、戦争反対を叫ぶが、
かって日清戦争日露戦争と勝ち進み、狂喜乱舞した私たち日本人たち。
勝利の快感を求めて動いていたりはしないか?
フロイト論文の中では短く目立たないが「快感原則」を思った。

これは元々、ロシア出身の美貌の女性心理学者、
ザピーネ、シュピールラインの書き起こした「死への欲動」。
ここからの盗作とフロイトは非難されたりもするが、
ザピーネの原稿は、本家本元だけに微に入り細に入り詳しく展開している。
たとえばワーグナーの歌劇。
馬上のヒロインが、燃え盛る火の海へと、突進していく、
このくだりを挙げながらダイナミックに解説していく。
 
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私たちは日夜営々として繁栄を目指す、
あるいは勝利を目指す……だが実はそれは「死」への欲動。
「死」を目指して生きているのではないか?

舞台では、ウジウジョ、ロロジョロと朗読者はいうのだけれど
音楽のほうは、どくどくどくどくと英国ロック特有の
不気味なまでの強力な重低音を休ます鼓動させて進んでいく。
どうあっても決してやすまないのだ。
無限に私たちを突き動かしていく無限衝動をあらわしている。
 
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まさに命がけで繁栄を目指す安倍政権。
当初安倍氏は「美しい国」と言っていたがこれはなにか?
特攻隊もまた「美しい日本」のために突き進んだのではないか?
美の極点としての散華、ゼロを目指して、知らず知らず「死」を目指して居たりはしないのだろうか?

この大戦犠牲は、日本人犠牲者300万人、ユダヤ人犠牲者600万人だけではない。
他に総計1400万人が国土を失いさまよった果てに、力尽きて、命を落としている。

死を希求しない論理、美しくもない醜悪をも包容する
確固たる論理も必要ではないだろうか。
つまり美しさなどいらない、生きのびる論理が欲しい。

第六回・詩の虚言朗読会『夢の罠』告知

第六回・詩の虚言朗読会『夢の罠』開催予定についてお知らせいたします。
 
2015-11 虚言朗読会 『夢の罠』

第六回・詩の虚言朗読会。
 
今回のテーマは
 
『夢の罠』
 
– 悶える 悶える 棺の中の美学よ! –


 
出演
長谷川龍生
阿賀猥/川本裕子(舞踏家)
石毛拓朗
細田傳造
伊藤信昭
山岡遊

 
2015-11 虚言朗読会 朗読舞踏Web宣伝用
 
 
 
開催日時
2015年11月29日(日)
午後1:30開場~2:00開演

 
会費
2000円(1ドリンク付き)
 
 
会場
カフェ・ギャラリー・シャイン
ライブ会場としても40年の歴史を持つ、老舗カフェです。
 
〒330-0071
さいたま市浦和区上木崎1-9-20
Tel 048-833-1045


 
京浜東北線・与野駅
西口から左へ駅沿いに進むと、
レンガ造りの建物がございます。
「SHINE」の看板が目印です。
徒歩30秒ぐらいの距離です。
 
武蔵野線でお越しの際は「南浦和」から
京浜東北線(浦和・さいたま新都心・大宮方面)にお乗り換えください。


 
 
ご来場、心からお待ちしております!
 
 


連絡先 彩の国夢探偵団・山岡
(携帯)080-5060-2529
(自宅)048-822-2529

妖精珍種2 マットヘルスクラブ妖精ちゃんたち駅前2号店

何のために書くのか?


さて話は英国ではなく、日本国である。
自分探しとか真実追求とかで、各という人が多いが、
自分なんて知ってどうなるものでもない。
うんざりするのがオチ。
真実も同じ、食ってうまいわけはなし、そんなもの追っかけるはずがない。
むしろ逆。
自分から離脱したいのではないか?
 
まず自分は見ない。
真実も無視、
ぱっとしない自分から離脱してパットする別の人物に変貌する、
または変貌しようとしてシシとして文字を書き連ねるのだ。

明治のエリート漱石ならんとして、
19世紀パリを闊歩する若きランボウになろうとして、
あるいはすでになったつもりで……とか。
離脱の解放感、物まねの喜び、ここに極まるのである。

ともあれ、詩編たるものどういう辛い苦しいものを、
書き連ねていたとしても、裏には、こういう嬉しい楽しい事情があるのだ。
 
物まねは楽しいだけではない、
物まねの方がよほど安心して読んでもらえる。
たとえば、歌謡曲。
 
物まね専科のコロッケを見るがいい。
アマタの歌手の歌い方から、表情まで、
しっかり細かくまねをして、大受けに受けて何億とかの豪邸を建てたそうだ。
 
物まねはする方も快適だが、聞く方も快適なのだ。
元々はかって大ヒットした曲。
なじみの旋律で、まずは無事に着地するはず。
安心して聞いておられる。

本物はこうは行かない。
聞いていて不安になる。
安全第一、無事が一番の昨今では、
どこもかしこも物まね一色、
本物が出る幕がなくなってしまった……かとさえ思われるが、
にかかわらず、である……漱石だの、ランボーだのは、介在させない。
自分一個を押し通す、
なにが何でも自前で、押し通すのが、たまにいるわけで、
これが細田傳造。
 
書くのは目前の事実。
過去ではなく、今の事実。
今の自分自身。
なにも風光明媚な富士山麓まで、
都会の雑踏やらゴミ屋敷を持ち込むこともあるまいし、と思うだろうが、
ここが傳造、これこそが傳造たるところ、
ワケのわからん無頼のカタマリとして、
所かまわず、無頼の詩をはじき出していく……
見事アッパレ、細田傳蔵なのだ。
 
 

「シャチョウ、ヘルス」


新宿の裏通り、深夜、背後からこう呼び止められた。
振り向いたが誰もいない。
こちらは女性、大柄、かっぷくはいいし、
男性と間違えられることの多い戸沢タマさん。

立ち止まって目を凝らすと、いかにも真面目、
しかっり真面目、どこを切っても真面目しか出てきそうもない
まさに、「真面目課長」という風情の男が、
ビルとビルの陰に潜んで、ひょいと出たり引っ込んだりしている。
 
「社長、ヘルスは、いかがですか?なんなら今からお連れします」
 
ちょいと裏通りに入れば陽気で楽しい天国があるのだ、
そこでは、天使たち、それも妙齢の麗しの妖精たちがワンサカ待っている。
 
ちょいとした金で、誰でも生きながらこの天国に遊ぶことが出来る。
この天国でのひとときを生き甲斐にしてる人もいるだろう。
カンバセ悪く、心映えもイマイチ、
その昔なら生涯「女」のオの字さえ拝めなかった男でさえ、
ちょいとの小金をこの女天国に遊ぶ事が出来る。

よくぞ経済大国、
風紀ビンランの日本に生まれてきたと涙する男も多いのではないか?

西欧天国は違う。
神様といえば、要介護3度一歩手前の白髪爺さん。
それにへばりついて、でっぷり太りまくった赤ん坊天使たちが
ぞろり、ひしめいて浮かんでいる。
言わずもがな、彼らは皆、糞尿垂れ流しである。
こんな天国なんぞ、うっかり迷い込んだら、何という苦労だろうか!
こんな所には、紙おむつ業者以外は誰も行きたくはない。
 
西欧文明、ちょっと見は、カッコいいのだが、
よくよく精査すると、簡単じゃない。
明治以来、詩も小説も西欧権威の物まねに死力を尽くしてきたが、
さてその果てはどうなるのか?

ここは歌謡曲とは違う。
コロッケみたいに御殿は建てられない。
待っているのはどこまでも無限に続く糞尿満載の汚物天国、大変である。
 
物まねは楽しい、うれしい、読んでいても安心……と呑気にしていると
あら大変、とんでもないところに行ってしまうのだ。

だから細田傳造は、自前で行く。
自前の天国をしっかり掴んではなさない、
西欧天国を寄せ付けないのだ。
 
自前の天国、「マットヘルスクラブ妖精ちゃんたち駅前2号店」を
どこまでもどこまでも、がっちり抱えて今日も行くのである。

戸沢タマ画:「マットヘルス妖精ちゃんたち2号店」
戸沢タマ画:「マットヘルス妖精ちゃんたち2号店」

妖精珍種1 細田妖精

支倉隆子戯曲「洪水伝説」は、全国各地を公演。
もう11回目になるが、1回ごとに趣向を凝らして飽きさせない。

第11回・洪水伝説

富士吉田市の富士山駅から徒歩10分、
画廊兼喫茶店での公演では、最後にリレー詩、
数人が同じタイトル「妖精」で、1編ずつ朗読したが、
それぞれの妖精がそれなりの妖精で面白かった。
以下は細田傳造さんの「妖精」。

細田傳造「妖精」

この妖精は、マットヘルス駅前2号店のお嬢さんたち。
ヘルスの妖精たちを自宅に呼び込んでのらんちき騒ぎで、気を吐いている。
ちょいと手強そうな妖精だが、ひょいと消えてくれるところがいい。
ここが妖精の真骨頂だ。

奥さんはこうは行かない。
ガンとして消えない。
しぶとく長々と亭主をいじめ続けるのも多い。
だが、いじめてくれる女が皆無を言うのもちょい寂しいもの、で
ドカンと駅前ヘルスから借りてきたという算段だ。
こっちが案外やすあがりかもしれない。
 

詩といえばまずは悲劇。
ヨーロッパ上層階級の学問のながれの中を泳いできた西欧詩篇は、
深遠かつ高雅な古代ギリシア、ローマ文学がお手本。
目の前の事実は書かない、繁栄も書かない。
だから、こういう楽しい詩は珍しい。滅多にお目にかかれない。
18世紀マウンドビル以来か?
(というと大げさに聞こえるが、本当にこの類は見かけないのだ)
 
売り子
 

マウンドビル


マウンドビルの場合は、ぐっとえげつない。
あくどいまでの事実であり、とことんの繁栄、
うんざりするまでの繁栄である。
そこまで突き進む。
 
何せ長い、細田詩編の100倍くらいか?
延々と続くのだ。
次から次に事実が並び、繁栄はとことん極まって、
それでもあきずに、またその先へと進むのだ。
 

作者マウンドビルは本職は医者兼理髪師、
国籍はオランダだが、金満王国英国で大ヒット、我も我もと読まれた。
だが、しっかりした方々、上層のお歴々は怒りまくり、
特に教会。
しつこく長々と真ウドビルと攻撃、裁判提訴する……
キリスト教では贅沢と貪欲が悪徳、
そればかりを書きまくるのだから、始末に負えない悪書ということになる。
 
ところが、お歴々の中に一人、例外がいたわけで、
この例外人が、この延々たるなかから、不変不滅の経済理論を、掴み取るのだ。
 
ご存じ、グラスゴー大学の哲学教授アダム・スミスの「見えざる手」だ。

アダム・スミス

すでに「道徳情操論」で、大ヒット、
令名すざまじく、アカデミーに出向くと
会員総立ちで出迎えたという大物中の大物が
この悪徳詩編に熱狂、ここからあの長々しい、
あまりに長々しい「国富論」を書き始めたのだ。
 
とはいえマウドビルの方は、何かをつきつめようとして書いたわけではない。
面白くなって延々とただ延々とつづけたのではないか?

ふっと気がつくと期せずして、不変不滅の論理、「見えざる手」を浮上させていたのだ。
 
えてして思った所には行かない。
時としてとんでもないところに行く。
 
これまた見えざる手であるが、
悪徳が善なる世界を築いていく様をありありと、
誰でも見える形で書き連ねたのだ。

南風桃子詩集『うずら』2

南風桃子『うずら』空とぶキリン社
南風桃子著『うずら』空とぶキリン社


南風桃子さん
南風桃子さん

 

QP人形
 
奇妙なエッセイも書く漫画家の戸沢タマさんは、
ちいさなころ、QP人形を神様として拝んでいたそうだ。
茶箪笥の上のQP人形に何かといえば、願い事をし、
災難を取っ払ってもらっていたらしい。

その話を聞いた時は、そんなもの拝むなんて気が知れないと思ったのだけれど、
このうずら詩集を読んで、戸沢さんの気持ちが分かるような気がした。
これならしっかりと分かる。
誰にでも分かる。怖いものでも、凄いものでもなく、
マヨネーズとか、美味しいものの世界の何かだと、わかる。
福助も同じ、足袋だか靴下だか、暖かーいものの世界のなにかだとわかる。
福助
そして仏様のように、イエス様のように、万年一律不変不死の方々、
このお二方が、神様となって何の不都合があるだろうか。
なんせ本邦ジャパン国は、
神様といえば八百万もおいでになるのである。
少々増えようが、構うことではない。

というわけで、このうずら世界では
「福助」神に加えて、QP神もまたおいでになるのである。
キューピー


「秋」

夏を超えて吹き渡る風
 
「稲がワラッテル」
 
と、QP人形が言っている
なるほど
黄金色の稲穂は
ホホホ
と笑っている

 
 
タイトルは「秋」。
その中ほどで、QP神がリンリンとして立っておられる。
「夏を超えて吹き渡る風」の「超えて」に注目してほしい。
「越えて」ではなく「超えて」。

現世から異界へ、異界から現世へ、
現世の夏から、神霊界の秋へ、
境界を超越して吹き渡る風の中にQP様はお立ちなのである。
いかにも楽々と軽やかに現世を超える世界、超えられる世界で、
うずら世界は展開するのである。

稲穂の実る黄金の秋、元気いっぱい目はパッチリのQPさんには、
都会の小部屋の茶箪笥より、輝く稲穂のうねる田畑が似合っている。
QP神やら福助神に守られて、
ここでは稲穂だって、お隣の奥さんみたいに「ホホホっ」と笑うのである。

日本の神様、古来からの由緒正しい神様は、姿形がはっきりしない。
八百万の神、800万いらっしゃるのだから、たとえはっきりしたところで
どうしようもないのだが、だからといって「鰯の頭も信心」など
「鰯の頭」に代理をさせるとは、なにごとであろうか!

鰯は瞬く間に鮮度が落ちてしまう。
店頭に並ぶのはいかにもいかにも情けないしなびた「お顔」。
これを神様とするには余りに申し訳ない。
それよりは福助、またQPがまだマシである。

総じて私たち日本人は日本の神様を拝まない。
仏様とかイエス様とか外来種ばかり、
みんなして命がけで拝んできたのだが、これらはなんといっても外来の方。
本気で他国の者の願い事なんぞ聞いて下さるだろうか?
彼等は彼等なりに自国のことを思っているはずで、
元々は自国のための仕事を行おうと上陸されたのではなかったか?

例えばザビエルが連れてきたイエス様。
これはもう、鉄砲抱えていらしたのだから明白。
日本制圧のためにいらしたわけで、
こういう方に助けてもらうなどとは、無理な話、
見向きもなさらないだろう。

ここからいうとQPさんも福助も純然たる日本産。
おまけに鰯の頭のように鮮度の落ちないお顔のうえ、
他国の特命を受けておられるわけではなさそう。
安心しておがめるのではないか。
さほど偉そうでない分、明日のお弁当のオカズとか、
亭主給料アップとかしょうもないことまでお聞き届けて下さるような気もする。

渡辺昇によると、天皇家のご先祖はおしっこの神様であるとかどこかで読んだ記憶がある。
ああ、こんな神様じゃ、戦争なんて勝てるはずもなかったと今にして思うのだけれど、
どうも私たちの国には弱そうな神様が多い。

対して、狩猟門族の神様、イエス様やらエホバ様は強力である。
旧約聖書の22章。エホバ様は、アブラハムに信仰心の証しとして息子イサクをささげよと命じ、
アブラハムは息子を殺して、その肉をあぶる香りを神様に嗅いでいただいて喜んでもらおうとしたり……。

いかにもいかめしく強そうな神様だが、ここまでの神様には、関わりたくない気がする。

だからといって外来の神様は出て行けというのではない。
ここウズラ世界ではどういう神様がこられようと、万事どこ吹く風で、
みなさまをおおらかにお迎えして、お元気でおられるわけで、例えば阿弥陀様。


五劫のすりきれるまで
修行したあみだ
 
ちょっとまだやってんの?
バッカじゃない?
美しい天女が
衣をひるがえしながら笑う

 
 
タイトルは「あみだ」。
今度は、インドからお越しの「あみだ」様。

天女にからかわれて、なんともぱっとしないお姿になってしまわれてはいるが、
たまにはこれもいいのではないか?
弁天さまはシャンシャン三味線ひいておられたり、やや様がわりしてはおられるが、
このうずら世界、楽しくしておられるようでそれが嬉しい。

かわりに「ダンゴムシ」やら「ヒメマルカツオブシムシ」やら、
普通ではパッとしない変な虫の方々は、ちと偉そうにというか、
それなりの確信をもって堂々と登場されているわけで、
ああ、これならば、私のようなチンケな者でも威張ってていいような……とか、ほっとするのである。

強力な神様とか何かにしっかり守られていたいというのは、
誰もが思う理想なのだけれど、後ではどうだろうか?
守ってやったんだから息子をくれ、とまではないとして、
何か代償がついていそうで、油断出来ない。
強力な神様、強力な哲学、強力なドクトリン、主義思想皆同じである。

戦後70年、平和続きというのは世界でも珍しいらしいが、
君主といえば、おしっこの神様の末裔、若者といえば、すっかりふやけた飽食青年ばかり、
これではもう平和以外はいきる術がないわけで、まことに不安この上ないのだけれど、
おかげで安穏平和な繁栄大国が実現しているとしたら、不安は不安として弱さを喜ぶべきかもしれない。

とはいえ女性は繁栄より「愛」である。
最後にうずら世界の愛どうなっているのであるか?

 

こんなに風のある日に
まちを歩くと
すてき
あなたのかけらが風にのって飛んできそうで
あなたの心のにおいとか
あなたのひとみのひかり
使いかけの骨とか歯
いろいろいろいろ
飛んできそうで
ああうれしい
うれしいな
おねがいわたしのなまえを呼んで
風のなかで今
わたしのなまえを呼んで

 
 
 
南風桃子詩集、愛の詩編「南風」の全文である。
「かけら」とか「におい」とか「骨」とか、が飛んでくる。
だが肝腎の「あなた」というのは、飛んでは来ない。
きそうにもない。ここが味噌。
 
「それでいい」と作者は思っているのだ。
全部はいらない。
そんな程度でいいのである。
それで十分なのである。

西欧狩猟民族の恋はこうはならない。
たとえば英国「嵐が丘」
相思相愛の恋人たちはバンリキの力をこめてヒシと抱き合う。
身体衰弱化、死にかけていても同じ。
オペラ「椿姫」。高級娼婦マルグリッド。
死のベッドの上で、声たからかに我が愛を唸り喚き散らすのだ。

こういう方々にとっては、愛のかけらなど、そんなものが飛んできた所で
蚊が飛んでるかていど、気づきもしないだとう。
 
どちらの愛が真実なのか?
どちらの愛が高級なのか?

それは置くとして、事は我が身である。
長く深く欧州型過激愛に憧れながらも
ついにありつくこともないままの恨み辛みからかもだが、
はたして実際に、そんなものが飛んで来たらどうなるか?
つまり「あなた」がここに飛んできたらどうなるか?

バンリキの力で、ヒシと抱きつかれでもしたら、長身痩躯ベジタリアンの私など、
小骨の3、4本はパリパリ折れまくって、大骨にもヒビなどはいったりして、痛さも痛し、
「愛」どころではない。
全部はいらない、カケラでいい、カオリ程度でいい。
これが「愛」なのだ。

 

おねがいわたしのなまえを呼んで
風のなかで今
わたしのなまえを呼んで

 
 
最後の3連が秀逸。
ここでも風が吹いている、知力の果ての異界ヘと吹き渡る風、
この愛は無限にどこまでも貴方を追って行くのだ。