朗読舞踏「猫的人的詩」

第11回・詩劇『洪水伝説(稽古篇)』
川口湖、富士山のふもとで行われた
第11回・詩劇『洪水伝説(稽古篇)』

第二部・ポエーマンスの部で公演した朗読舞踏「猫的人的詩」。

樹木役で出演はイガイガボン舞踏家 高梨浩二。
元房総の草取り職人なので、真っ黒。
どこに目鼻がついているかもわからない。

ひょっとすると、目鼻はついてないかもしれない。
口はついている。
 
 

 
 

第五回・詩の虚言朗読会『群呆け』告知

第五回・詩の虚言朗読会『群呆け』開催予定についてお知らせいたします。
 
2015-04 虚言朗読会『群呆け』

第五回・詩の虚言朗読会。
 
今回のテーマは
 
『群呆け』
 
明日戦争が始まる


 
出演
長谷川龍生
宮尾節子
下川敬明
高橋紀子
伊集院昭子
山岡遊

 
 
開催日時
2015年4月11日(土)
午後5:30開場~6:00開演

 
会費
2000円(1ドリンク付き)
 
 
会場
カフェ・ギャラリー・シャイン
ライブ会場としても40年の歴史を持つ、老舗カフェです。
 
〒330-0071
さいたま市浦和区上木崎1-9-20
Tel 048-833-1045


 
京浜東北線・与野駅
西口から左へ駅沿いに進むと、
レンガ造りの建物がございます。
「SHINE」の看板が目印です。
徒歩30秒ぐらいの距離です。
 
武蔵野線でお越しの際は「南浦和」から
京浜東北線(浦和・さいたま新都心・大宮方面)にお乗り換えください。


 
 
ご来場、心からお待ちしております!
 
 


連絡先 彩の国夢探偵団・山岡
(携帯)080-5060-2529
(自宅)048-822-2529

南風桃子詩集『うずら』1

九州はもう春なのかな?
大分県から、とっても可愛い詩集が送られて来た。
南風桃子さんの『うずら』
コロっとしたうずらちゃんの絵が、あちこちに散らばっていて、
これがまた可愛い。

南風桃子『うずら』空とぶキリン社
南風桃子著『うずら』空とぶキリン社


 

で可愛い可愛いを連発しながら、ページをめくって行くと、
おやおや可愛いだけでは、すまないので、コロッと、なにか変なもの、
こんなことを言っては神様に失礼と思うものの、
神様みたいなも のが、転がり出てきて……びっくりしてしまった。
 

天にこだまする福助の声
 
――おまえはカゴの中のうずら。
  いついつでやる?
  生きてる間に出られるとよいがな
  生きておる間にな
  イヒ。
  ――by 福助
       「福助」から(詩集『うずら』所収)

 
 

自由気ままにしてるようで、人もまたうずらと同じ、
いつも檻の中、なかなか出られない。
「出たぞ!」と思っても、たいがいは別の檻に移っただけ、
おそらくは生涯、檻暮らしではないだろうか?
 
この福助は違う。
平然と檻の外にいて、笑ってる。
おそらくは地球の外であろう。そんなところにいて、
酸欠にもならず、「イヒ」なんて、すごいではないか?
威張るでもなく、力むでもなく、サラリと「イヒ」。
ここが凄い。
これは、並ではない、この福助は神様だと思った。
これこそは正 真正銘の神様だと。
 
思い起こせば、今まで、神様または
神様らしいものを拝んだ記憶がない。
両親は無神論、家には仏壇も神棚もなかった。
たまたま隣が、神主さん。お付き合いで買うハメになったと、
母が持ち込んだ大きな神棚を見たことがあるがそれっきり。
その後は見たことがない。捨てたのだろうか、バチアタリなことである。
 

親戚の家にいくとまずは仏間、どの家も浄土真宗で、
馬鹿でかいキンキンランランの仏壇に手を合わせて挨拶となるのだけれど、
仏壇だから、仏様の像があったはずだが、思い出せない。
記憶から外れている。
いったい何を拝んでいたのか?
問題は仏壇の上の写真。祖父さん祖母さん、
そのまた前の祖父さん祖母さんの写真やら絵姿が
額縁入りで所狭しにひしめいていて、仏様どころではない。
結局はこの方々を拝んでいたのである。
 
仏様の両脇に親鸞様、
その先生の法然様の絵姿を飾られたらどうですか?と
お寺様に薦められたことがあったと伯母は言うが、
この伯母の家でもどの家でも、親鸞様法然様は見かけたことがない。
 

親鸞様といえば、全国各地に自身で彫られたという彫像が残っているが、
眼光ケイケイ恐ろしいばかり、山賊の親分としか見えないのが多い。
家に飾って拝む気にはなれない。
法然さまは、穏やかなまあるいお顔、こっちは拝みやすいようで、
殆どのお姿が横向き。これが気になる。
ソソソソっと何処かへ行ってしまわれそうで、不安になる。
流罪に合われた方、私たちの世話どころではないのでは?と思ってしまう。
 
その点、この福助様は違う。
動かない。ぺたりと畳にへばりついている。
お顔は完璧な福相。どういじろうといじれない、
何があっても「福」から動かない固定型幸福の顔である。
この方を拝まないでおられようか!
 

昔からの正統派神様、イエス様やら仏様の手前、
大っぴらにはいえないのだけど、実は私たちは、
密かに密かに、この福助を拝んできたのではないだろうか?
心の奥の又奥の深いところに小さな座布団をしいて、
福助様をほっこりと乗せ、ほっと一息ついたり……
そうやってきたのではないだろうか。

第11回・詩劇『洪水伝説(稽古篇)』告知

第11回・詩劇『洪水伝説(稽古篇)』

第11回・詩劇『洪水伝説(稽古篇)』のお知らせです。

永遠に進化を続ける、支倉隆子による詩劇『洪水伝説』第11回公演のお知らせです。
今回の洪水伝説はどのような進化を遂げたのでしょうか。
第二部はおなじみポエム+パフォーマンスの、ポエーマンス。
今回イガイガボンは、阿賀猥、高梨浩二「猫的人的詩」を演じます。
皆様お誘い合わせの上、ぜひ、ご来場ください。

 
作・演出
支倉隆子

出演
第一部 詩劇「洪水伝説(稽古篇)」幕間/樹木役
松原牧子
金井裕美子
広瀬大志
新井隆人
伊藤浩子

第二部 ポエーマンス ゲスト
渡邊めぐみ
雨宮慶子
高梨浩二
阿賀猥
細田傳造

朗読 [あ]伊藤浩子[う]金井裕美子[ん]松原牧子
THE POEMANS 広瀬大志/新井隆人
シリーズ「猫的人的詩」 阿賀猥/高梨浩二
リレー詩 「妖精」

司会 松原牧子/新井隆人

 
日時


2015年4月18日(土)

13:00 受付
13:30 詩劇「洪水伝説(稽古篇)」
14:30 ポエーマンス
16:20 がやがや
17:00 閉会

入場料
1,500円

 
会場


裾野ギャラリーアーヴェント
富士吉田市新西原1-8-1
新宿発の高速バスが便利です!富士急行バス

TEL 0555-24-5888
 
お問い合わせ(支倉)


☎03-3894-0391
事前予約可

ご来場、心からお待ちしております!
 
 
 
 

嵐が丘

ースクリフは何処からきたのか?

本文で、一度ならず囁かれる……ということは、
出自を読者が簡単に辿れるはず、もしくは辿って欲しい、と作者は思っていたのか?

さてどこからか?
『嵐が丘』の主、アンショー氏は旅先から彼を拾ってきた……という、旅先とはどこか。

当時の英国陣は、植民地に出かけて荒稼ぎ、莫大な富を本国に持ち込んで、
それぞれが宮殿まがいの自宅を建立していた時期で、
これは姉、シャーロットの小説『ジェーン・エア』の雇い主と同じ。
おそらくは、港町リバプールから出向、中南米あたりに出かけていたかと思われる。

ジェーンエアの主にしろ、アンショウ氏にしろ、そこでも家庭を持っていた……
そこで、もうけた子供を、連れ帰った……

つまり、『嵐が丘』
ヒースクリフはアンショー氏の実子であり、
キャサリンとは実の兄妹……こう読者は推測するとみて、
まずは、近親相姦の徹底否定のために書かれたと推測される。

エミリには、肉の愛を徹底否定する「愛」を提示する必要があったのだ。

つまり『嵐が丘』の目的である。
私たち兄妹の愛は、つまりブランウェル・ブロンテと、エミリ・ブロンテの関係は、
たとえ恋愛であったとしてもプラトニックな恋愛である……
この釈明のためにエミリは書いたのである。
 
 
当にエミリは全文を書けたか?

と疑惑もあるのだが、それは置いておくとして、
エメリには緊急に出版する必要があったわけで、
例え誰の作であろうと、とにかく緊急に自身の名前で、
自身が書いたとして出版する必要があったのだ。

エミリのたちの父親、ブロンテ氏は、アンショウ氏のような商人ではない。
人々の尊敬を集め、それなりの政治活動も行っている牧師館の主である。
その子弟が相互に「みだらな肉の愛」に耽っていたとなると、いったいどうなるか?

これは、まずは『嵐が丘』冒頭の宿泊した旅人の夢の中に登場、
怒り狂って押し寄せる会衆に教会がさんざんに踏みにじられる光景となって登場する。
この恐怖がエミリを終始支配し、兄ブランウェルを非業の死へと導いていくのだ。

「牧師館での子弟相互の淫らな肉の愛」……秘められていたはずを、
エミリは、その前年に赤裸々に書き込んだ詩を出版してしまっていた……
何としても、これを打ち消さなければならない……

つまり問題は3姉妹の詩集である。
エミリは、自身の実体を、ここに書き込んでしまっているのだ。

エミリは、姉シャーロットの3姉妹での詩集出版に猛烈に反対した挙句、
シャーロットに屈して出版はしたものの、大幅に手を入れて改作、その痕跡を消しさっての出版、
またその詩集、ほとんど売れていないのだから、誰も読んではいない、
そういう心配は無用なはずを、まだまだ恐怖に駆られていたのだろう。

詩集の痕跡を消し去らねば……

エミリはこれで動いていく。
普通ならこう売れなければ出版はしばし諦めるものを、エミリは逆。
早急に小説を執筆、今度は自身が出版社に出かけて出版交渉、刊行したしまうだ。
 


 
『ドラゴン in the Sea』上下巻にわたっての『嵐が丘』。

その作者は誰か? また、上記のような近親愛の顛末は電子書籍版の補注に詳しいのだけれど、
最近になって、牧師館の資料ほか、広範囲の公文書から、
父親ブロンテ師と長子ブランウェルの資料を大量発掘、
父とともに、政治活動も積極的におこなった闊達有能なブランウェル像が浮上している。
バカ、ダメ扱いのブランウェルだが、
最後まで優秀有能な友人たちに恵まれた卓越した人物であったかと思われる。

家族で決定、ブランウェルに画家修行をさせたのだが、
画家で経済的に自立するのは現代でも無理、貧乏なのは当たり前でる。
世間知らずの3姉妹に貧乏をさんざんにバカにされ、いじめ殺された……という彼の友人の意見も正しいと思う。

本当の作者はエミリではなく、兄ブランウェルである……これも彼の友人の言葉である。
これも半ばは正しいのではないか?
 


 
てさて問題は、エミリ灼熱の恋である。

プラトニックではない肉付きの愛である。

エミリ死後、姉シャーロットは、エミリの日記小説他、
大半を焼却して、それをたどれないようにしてしまったが、
妹アンとの共作長編小説『ゴンダル』には、
半ば焼却されたとはいえ、一部は残存、ここで見ることができる。

本(嵐が丘)を誰が書こうと知ったことではない。
輝かしい灼熱の愛、エミリはこの愛の思い出に殉じたのだ。
 
 
 
参考


『ドラゴン in the Sea 上巻』電子書籍版
絶賛販売中です。
こちらもぜひご参照下さい。

第10回・詩劇『洪水伝説(稽古篇)』ポエーマンスを終えて

12月14日、支倉隆子 詩劇『洪水伝説(稽古篇)』、ポエーマンスの部にて
阿賀ほか、イガイガボンスタッフは「蟷螂型恋愛色模様」を客演したのだが、
直前になって主役の町娘を演じる十亀脩之介氏の都合がつかなくなり、騒動になってしまった。

八方手をつくしたが、12月は繁忙期、
簡単には踊り手が見つからず、大橋可也ダンサーズの総帥、可也氏の
必死の探索で男女2名のダンサーを確保したのが、公演1週間前。
それから虫役の吉田ゆき子氏などに協力を求め、練習を開始。

流石、可也氏推薦の熟練ダンサー、その腕前に安堵したのはいいが、
衣装一式が届かない。
カツラに刀にと、最善の衣装を取りそろえていたのだが、これまた動転、大騒ぎになった。

衣装一式は、十亀氏が保管していたのだが、発送していなかったのだった。
さらに宅急便側のミスまで絡み、
公演前夜の真夜中になっても荷物の所在が分からないという事態に。
午前2時、千葉は館山のイガイガボンメンバー高梨氏が、
宅配業者の送り状を探し出して所在確認となった。

かくて公演直前になんとかダンサーは衣装一式をキャッチしたわけだが、
朗読者の私は頭が混乱して、朗読ができない……
「落ち着いて落ち着いて、阿賀さん、大丈夫大丈夫……」と
虫役の戸沢タマ氏になだめられ、なんとかやっと歩行と言う有り様であった。

曲は、吉田兄弟の三味線曲3曲の合成。
編曲したのは、今は亡き絵画作家谷敏行。
彼は若旦那役でもあったため、全体を把握、
それはそれは、難しい構成で、これに朗読を合わせるのが至難の技。
生半可な練習では無茶苦茶になってしまうのだ。

実際のところ、朗読は六割方失敗に終わったのだが、舞踏が予想外の出来。
大変な迫力で、下手朗読をカバー、沢山の拍手をいただいた。

娘役は、長身明眸皓歯の若林淳氏。
独特のオーラを発しているとの感想もいただいた。
若旦那役は、川本裕子氏。
猫のように動く柔軟な肉体で、愛に狂って死へと驀進する男を熱演した。
「喜んで死ぬんですね。エクスタシーの表情がいりますね……」
と川本氏、何度も練習を繰り返したのだが、蟷螂型恋愛は、カマキリ方式。
雌がオスを食い殺して愛が成就するのだから、
死を歓喜のエクスタシーの極点として演じなければならない。  

出典は『ドラゴン in the Se』下巻の5章。
これはフロイトの快感原則を背景に『嵐が丘』の作者、
エミリ・ブロンテの禁断の恋を扱ったもの。
挿し絵は、以下。大きなカマキリは、エミリ・ブロンテを現している。
かなり怖い絵である。

ドラゴン5章・カマキリ&カエル
 
恋愛小説の最高峰『嵐が丘』の作者される
エミリ・ブロンテは人里離れた荒野の牧師館の娘。
一切の恋愛経験どころか周辺に男の陰さえなかった女性。
それがなぜ「愛」を書けたのか?

謎中の謎とされてきたのだが、
『ドラゴン in the Sea』では、恋人を兄、ブランウェル・ブロンテと特定。
恋の現場を周辺の荒野として、新説を展開している。
根拠は、エミリとアンの共作、生涯を通して書き進められた長い長い長編小説『ゴンダル』。
エミリーの死後、姉シャーロット・ブロンテは、大半を焼却している(なぜ焼却?)ので、
その残りでしかないのだが、この小説が大量のエミリ詩編を満載、
この一々を新たに読み直して、エミリの灼熱の恋を浮上させたのだ。

その大半を謎の詩編としての何世紀もの解釈を『ドラゴン in the Sea』はバッサリと捨て、
全てはエミリーの実体験からの詩編として、明確に解釈しなおした。

彼女は自身の恋のくまぐまを記録したかったのだ。
記録して自身で再読反芻、そういう形での恋を生きたのだ。

恋人ブランウェルは、恋多き男、私生児までなしているとの噂さえある。
もう戻っては来ない。かっての恋は忘れ果てている……

エミリの怒りと絶望は『ゴンダル』の女王A.G.A.の残酷な実子殺しとなって結実、
はたまた恋人を投獄し、死へと追いやる……という筋立てで、復讐を果たしていく。

そして恋人の残酷な獄死、まさにその時になって初めて愛に熱狂する女王A.G.A.……
彼女たちは蟷螂型恋愛を生きたのだ。
彼女たち?
そうエミリ自身もまた、自身の物語、ゴンダルを踏襲してしまうのだ。