ドラゴン in the Sea 上「はじめに」

ドラゴン in the Sea 上 阿賀猥×中本道代×戸沢英土
ドラゴン in the Sea 上 阿賀猥×中本道代×戸沢英土JO5の流れを受け継ぎ、満を持して登場した『ドラゴン in the Sea 上』。
今回は、まえがきを全文公開いたします。
 
なぜタイトルが「ドラゴン」なのか。龍にも色々あるのに、なぜ「in the Sea」、海の中なのか。
ちょっと長めですが、ご一読頂ければ幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに


阿賀猥
 

その昔は神様といえば蛇ないし龍。
世界各地で祭られていたようだ。
稲作農耕の日本では、水の神様として龍神信仰が今も各地に点在、なにかとドラゴンはなじみ深いが、蛇ないし龍が王家の妻として登場しているのに注目した。
 
妻は妻でも刺身のツマのようではなく妙に大きい。
たとえば神武天皇の祖父山幸の妻、豊玉姫。
彼女の産屋が宮崎県の鵜戸神宮に残っているが、八尋(約十五メートル)もの巨大蛇であった。
海神ワタツミノミコトの娘で、出産後は子を置いて独り、海に帰っている。
その置き去りにされた子供、つまり神武の父、ウガヤフキアヘズもまた豊玉姫と同じく海神ワタツミノミコトの娘、玉依姫と結婚している。
おそらくは彼女もまた巨大蛇であったろう。
 
環太平洋ではカンボジア。
アンコールワットも王宮であると同時に巨大蛇ナーガの館。
巨大蛇を妻として毎夜その妻に仕えるという責務が王にあった。
恵みの雨を降らせるありがたい優しい龍ではない。
海を動かし陸を壊す強暴巨大なドラゴンの存在があり、この対策が国家的規模で最重要の課題としてあったのだろう。
海に従う、海を祭る、という形で王家との婚姻がなされたように推測される。
 
特に山幸は、龍宮からの帰還に際して玉手箱ならぬ潮満瓊(シオミツタマ)と潮涸瓊(シオヒノタマ)の二つを海神から貰い受けている。後者は海の水を引かせる働きをし、前者は海の水を溢れさせる働きをする。
まさに津波対策である。
先史時代、環太平洋地帯は今と同じく大津波のすさまじい惨禍を受けたことがあり、その記憶がこれらの土台にあるかと思われる。
 

本稿開始は七年前の二〇〇四年、思潮社小田久郎氏からの電話が発端。
私は当時の新聞記事、
 

「AV女優の志願者が急増している。
 それも旅行会社勤務の女性が多い。
 彼女たちは旅に出ようとしているのではないか?」

 
について、喋った記憶がある。
彼女たちは不特定多数に下半身を開くことで、普遍への道を探ろうとしているのではないか?
そういう目線から世界を見直すことができるのではないか?
そこから新しい広やかな世界へと抜けることが、できるかもしれない。
 
低いから見えないということはない。
低きに低き視点、それゆえにこそ開ける世界があるはずだ。
天をかけるドラゴンではない。
地の底をくねり、世間の塵芥の下、汚泥の中を転びながら、這いながらも、なおも生き続ける私たちの中のもう一つの私「ドラゴン」について、小田久郎氏に奇妙な私信を書き綴ったことがある。
 

前半は1章から3章、ヨーロッパの底の部分から、世界を見渡していく。
国富論がその基盤に抱え持つ長篇詩「ブンブン不平を鳴らす蜂の巣…」、エミリ・ブロンテが「嵐が丘」に隠蔽した奇怪な愛、そしてヒトラー。
雨樋の裏、教会の椅子の裏に彫り込まれた小さな豚の絵から、ホロコーストを追う。
 
後半は4章から7章。
法然、親鸞の思想を現代ロック、デビッド・ボウイ、マリリン・マンソンの歌詞との近似に注目、日本仏教の過激な起源を探る。
その起源、大乗仏教の元祖龍樹の見事な詩行「中論」、そしてそこを貫流するレンマの論理。
西洋ロゴスの論理を軽やかに切り崩していくレンマ、レンマは殺人鬼机竜之助をまた怪物エミリ・ブロンテを許容できるのか。
かくて最後に龍の論理。論理のすべてを許容するかに見えてあるときは一切を破砕する龍の論理。
言語を持たないもの、明確な姿をさえ持たないものたちの無念とその意思を抱え持つ龍の論理、つまりは大自然の意思、これらを感知できるのかどうか?
 

私たち対談者三名はかつての山幸のように、まずは海へと潜ることで作業を開始した。
廃棄された資料、無視された過去の事実を拾い起こし、探ることでドラゴンの意思を読み解こうとした。
キリストの愛、釈迦の明晰が覆う固い強固な地層を壊し、その下にあるものを見ようとした。
 
対談者はそれぞれ資料を持参。
相互に読み合わせながら作成、話題が多岐にわたったため、多くの専門分野の方々に点検を依頼した。
 
長野県の山中、昆虫を追う筑波大学研究員福井眞生子氏、同じく筑波大学物理学研究者、また現代企業最先端を生きる方々、仏教研究者の方々など、二十名以上の方々から大量の資料もいただき納得のいく補正をすることができた。
 
特に上巻は3章経済学を小林健吾氏に、
1,2章を梅原猛氏に点検を依頼、梅原氏には病気静養中にかかわらず、次々に未完成原稿を読破いただき
 

「過激だがものすごい面白さ、あなたはニーチェを思わせる」

 
など、嬉しいエールをいただいた。
ここに御礼を申し上げたい。
 
 
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誕生寺

お地蔵様
明け方4時、毎日4時、戸を叩く音で目を覚ました。
朝まで所在ないので、法然を調べ始めたのが発端。
ドラゴンは3人での対談本。
3人で宗教を喋り出したら収集がつかなくなる。
宗教は親鸞だけ、他は喋らないで行こう……こう3人で取り決めていた。
3人三様、資料は大量に集めたが、見ないままでおこう、と思っていた。
 
明け方4時、目の前にあったのが法然の資料。
ろくに読みもしないままに放り出していた法然、選択集。
所在なくてこれらを読み始めた。
 
常時1時就寝、4時起床。
1か月、小さなコツコツは続いた。
目を凝らして戸口にひっそりと立つその人を盗みみたことがある。
誰なのだろう。見たこともない人であった。

岡山県美作(みまさか)の誕生寺についたときは、みぞれ混じりの雨。
寺で小さなお地蔵様を買った。

お地蔵様
かなりピンぼけ。
お地蔵様が恥ずかしがって写りをボカしてしまったか。

ここは法然の父、漆間時国の屋敷があったところ。
法然はここでうまれた。
法然15歳、都へ出立する我が子に時国は「自分はまもなく殺されるだろう。
菩提をとむらってくれ」と言ったそうである。
言葉通り、まもなく、ここで両親は夜討ちにあい、命を落としている。
 
危険と判っていながらなぜ逃げようとしなかったのか。
殺されても当然として死を甘受したのか。
時国は押領使。所領を守るために、あるいは広げるために、殺されても仕方にない非道のをやってきたのかもしれない。
我が命を守る資格はないと、観念していたのか、
 
ここでまた悪人正機説を思った。
悪人とは誰か?
人それぞれに思いがあるだろうが、法然の場合は、まずは自分自身だろう。
自分こそは悪、父時国の悪の血をひいた悪、この悪をはがす事はできない……
このあたりで、法然は、アメリカロック歌手、マリリン・マンソンへと重なっていく。

ドラゴン下巻では、法然をマンソンと並べたことに反発する方々が多かった。
だが二人は酷似している。
アメリカ兵士として、ベトナム全土に毒薬をまきちらし、多くの人を死に導いたマンソンの父親……
人殺しの悪の血が、僕の全身を巡る、これは取り外せない……こうマンソンは歌う。 
ケバケバしい衣装と奇怪なメークで、世界中で歌い歩くマンソンになどに、似てるなど言われたらさぞや迷惑なさるかもだが、他に自分は悪と騒ぐ人はまず、いない。
ここはやはり二人並べるしかないかと思う。
 
 
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知恩院

京都の法然関連の寺、知恩院と粟生光明寺を訪ねた。
知恩院は法然の高弟源智が建立、法然の遺骨を納めた廟がある。
源智は法然の高弟。
悪人正機説「善人なほもて往生す……」を法然発言として、記録した人。
歎異抄より、早い時期に書かれているので、おそらくはそれを見て唯円が書き写したかと思われるが、とにもかくにも、広大な寺であるのに驚いた。

知恩院

写真は山門、この上に上り詰めたところに法然の墓があるが、この山門、やたらに巨大でいかめしい。
なぜここまでに、いかめしいものを作ったのか、このようにして、がっしりと法然をまもろうとしたのか。

大雨。
粟生(あお)にある光明寺。これは熊谷蓮生の建立。
蓮生は元鎌倉武士、熊谷直実。これも又でかい。
他に金戒光明寺ほか、法然の遺骨を収める寺は多い。
京を追われた法然なのにこの墓の多さは、なんとしたことだろう。
京都中のこれでもかこれでもか、と法然の墓が広がる。

気がかりなことがあって、京都を訪ねた。
どの法然像もその人には似ていない。
法然はどこか丸っこくてがっしりタイプ。その人は細面。
女性的な体躯。法然像に似たものはない。
それならば誰だったのか?
 
 
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悪人正機説は、親鸞ではなく法然

悪人正機説といえば、唯円の記録した歎異抄、「善人なおもて往生す。いわんや悪人おや」。
親鸞の発言として、これぞ親鸞の根本思想となっているが、これはどうもおかしい……。(阿賀猥)
 
 
 
 
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治安維持法と『ドラゴン』

幸徳秋水
中澤俊輔著『治安維持法』¥860を購入した。
実際の治安維持法自体は1925年の制定だが、同書は1900年の治安警察法からはじまり、1910年の24名の死刑判決を導いた大逆罪、またその後に起こった事件まで、広範囲にスポットをあて、治安維持法として論考したもの。
表紙の帯に「稀代の悪法は民主主義が生み、育てた」と大書してある。
民主主義について、一般的な見解を真っ向から覆しているのに注目した。

三浦瑠麗著『シビリアンの戦争』もタイトルの後に、「デモクラシーが攻撃的になるとき」と副題をつけている。
つい今までは何はともあれ民主主義であったのが、相当に様変わりしている。
民主主義とはいったいなんなのか?治安維持法や軍国主義とは、相対立するものとされてきたのだけれど、そうではない、ひょっとして、同じものではなかったか? とさえ思われてくる。

幸徳秋水イガイガ本シリーズの、『ドラゴンin the SEA』では、直接『治安維持法』に触れた部分はないが、大菩薩峠の作者 中里介山が、幸徳秋水に私淑していたことから、秋水と同じくこの悪法の犠牲となった小林多喜二にまで話題が進み、二人の代表作の表紙を写真入りで紹介している。

『ドラゴン』の場合は青春時代を軍国主義で明け暮れた92歳の対談者、私の母親を話題にしているが、彼女は当時としては珍しいまでの自由な環境にあったせいか、根っからの自由主義者であり、民主主義ニンゲンであった。
だが同時に熱烈な軍国主義者でもあったわけで、2・26事件の首謀者に同情、その処刑を決定した政府に憤り、処刑の日には女学生は全員で集まって大泣きしたことなど、繰り返し聞かされてきた。

小林多喜二当時、民主主義の究極として軍国主義が台頭していたのではなかったか?
当時民主主義とは軍国主義ではなかったのか。
「攻撃的になった民主主義」としての軍国主義ではなかったのか?

一般的な見解とは逆になるが、イガイガ本「ドラゴン」では、昭和天皇側近を勤めた木戸幸一日記を紹介、スペイン思想家オルテガの著作も引用して、この見解をカバーしている。

小説では、林芙美子の『浮雲』。
当時の占領地、南方諸国へ新しい未来を見つけて旅立つ青年群像を活写、当時の熱気が伝えている。
このあたりが軍国日本の実態ではなかろうか?
国をあげて老いも若きも軍国日本に沸き立っていたのだ。
「民主主義イコール軍国主義」では戦後思想は壊れてしまう。
戦後の小説のいくつかが、成り立たなくなるかもしれないが、だが実情はこうではなかったか?

話は中里介山である。彼を駆って大長編『大菩薩峠』を書かせたのは、政府の治安体制への憤りだろう。直接には幸徳秋水以下24名が実刑判決を受け、
うち12名が処刑された大逆事件への怨念である、この大逆事件に幸徳秋水ほか、中里の周辺にいたものの幾人かが連座、命を落としている。1900年の治安警察法、1925年の治安維持法、これら悪法への怨念が、介山の生涯を支配、大著を続行させたかと推測した。

大逆事件は1910年、死刑執行は翌年1911年。
翌々年の1913年には「大菩薩峠」の新聞連載が開始されている。
だがこの大菩薩に関しては連載の前に自身で活字を組んで印刷、小冊子にして、持ち歩いて誰彼に見せている。
中里は当時、すでにいくつか新聞連載も経験していたわけで、大菩薩もまたいずれは、掲載可能なはずを、なぜそこまでして、印刷配布したのか?
秋水を思い、友人たちを思い、じっとしてはいられなかったのではないか?
 
 
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『大菩薩峠』と芥川龍之介

今回の『ドラゴンin the Sea』の下巻にその発言をそのまま引用、掲載したが、芥川龍之介は『大菩薩峠』をあまたの文学書を差し置いて屹立する大傑作との
言葉を残している。
すべてが消える、大菩薩峠以外は残らないとも言ったそうである。
芥川の師、漱石も消えるのか? 鴎外も消えるのか?

介山は、これらの文学がよってたつ国家治安を許せなかったのではないか?
かれらの文学が希求する国家安寧と平穏をあくまで許す事ができなかった中里介山、彼の芯の部分が治安維持法、この法案の裏から透けてみえてくる。
治安を乱すために、介山は刺客机竜之介を、作り出したのだ。こういう形で治安維持法に対決したのだ。

tanizaki「改造」連載の中里作品『夢殿』は、谷崎潤一郎に絶賛された事でも有名である。
だが中里は、これを歯牙にもかけず無視、あたかも唾棄すべきもののように、対応している。敵は本能寺、治安維持法である、文壇の治安など、どうでもよかったのだろうが。

芥川の中里以外はすべてが消えるとの発言、最晩年の発言だけに気になるが、同時期に執筆された芥川の評論のどこにも類似の発言は見つけることはできなかった。
彼自身で記述したものの中にはないのかもしれない。
最後の評論『文芸的な、余りに文芸的な・・・』には、大衆文学としての項目はあるものの、わずか4行。取るに足らないもの、言う必要もないとでもいうような、書きぶりである。だが、なぜそのタイトル、「文学」ではなく「文芸」としたのか?
なぜ『文学的な、あまりに文学的な…』ではないのか?
大菩薩峠はどうなのか。『大菩薩峠』、これなら文学となるのではないか?

akutagawa自身の文学は単に「芸」でしかない。中里以外の全ての著作、自身の労作のすべても、単に『芸』として、いずれは消え去る・・・こういう思いが芥川をよぎったりはしなかったか?

谷崎潤一郎の絶賛を、唾棄すべきものとして、侮蔑をもって答えた介山である。
芥川身の作品の数々もまた、取るに足らないものとして、侮蔑の一閃で、却下……となるのは、必定だろう。
谷崎のもと、あるいは漱石の翼の下に生き続けてきた芥川、治安の側で、治安の翼の下に、ぬくぬくとしてあった自身の文学を、同じく唾棄すべきものとして、より一層唾棄すべきものとして、裁断を迫られたのではないか?
こういう危惧が、芥川を自死へと追い込んでいった……とか。

たかが新聞連載の大衆小説といってしまえば、それで終わる。
だが、図書館に真っ黒い手垢をつけた大菩薩峠が、それこそ、ところによっては数種類、並べられているのを見るたび、芥川の言葉を思う。
 
 
 
 
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