法然旅(2)

自分の書いたものは、まず見ない。
当初は特にそう。
ページをめくりもしない。
めくりたくない、というより、めくることができないのだ。
 
対談者の中本道代さんもそうらしいが、
私の場合は、そこに魔のようなものを
閉じこめて来たような気がするのだ。
私の魔、ボウイの魔、エミリ・ブロンテの魔、そうして法然の魔……
犯罪者と同じ、やっと始末した。
早くずらかろう……後をも見ずに一目さんと今回も逃げるはずであった。
 
ところが今回はなぜかそれができない。
いちいち捕捉まで作り、その捕捉が又気に食わず、
いちいち捕捉に付箋をつけて、
梅原猛氏まで、問い合わせた。
果たしてこれでいいか、どうか等々。

程なく梅原氏から返事、と思って開けたら、
新刊「「葬られた王朝」。
次のページをめくったら梅原氏がセーター姿で例のニコニコ顔。
これでいい、これで進めということだな、と解釈して捕捉は終了することにした。
 
ちなみに、「葬られた王朝」は古代日本が舞台。
これまで、聖徳太子、柿本人麻呂について、通説を覆す論理を展開してきた梅原氏。
これに対して「誹謗、中傷、冷笑、黙殺が続いた」が、今ではこっちの方が通説になってきていると書かれている。
今回は、3度目の挑戦、古代歴史に挑んだもの。
アマテラスやスサノオの世界が、新たに古代からよみがえり、出雲を舞台にダイナミックに動き出している。
 
法然の場合も通説とおりとはいかない。
時は鎌倉時代。まず仏僧が今とは違う。
僧は僧でも僧兵が跋扈、高名な祖師たちも殆どが武家出身。
教理自体は穏便平和ながら、白刃、ぎらつかせて、カーッ、キーッと、切り結んでいるのが実状。
『ドラゴン6章』では、それぞれの教理も相互に激しく切り結ぶものとして解釈、今までとはやや異質の法然像になっている。

そもそものきっかけは、
明け方の4時の幻覚。
訪ねて来られたのはどなただったのか。
この方の意向で、法然部分を新たに追加したように思う。
だが、2月から3月、京都、岡山など法然ゆかりの寺を回ってみたが、どこにも似た方は見つけることができなかった。
結局、氷解したのは帰宅後。
法然の高弟、源智、うっかり見落としていたこの方の画像を梅原氏著作の中に発見。
見覚えがあった。
この方ならよく知っている、なぜかふと納得した。
 
800年の歳月を乗り越え、
はるか荒唐の地、千葉県までこられるとは!
いかにも奇怪な話ながら、源智という方は、そういう方ではなかろうか?
がっちりと、完璧に師、法然を守り、記録にとどめたい……この一念で、今も現世を歩いておられるような、気がする。
 
そろそろ4月、
今はもう明け方4時にたたき起こされることもなく、まぶしい朝日の中で目を覚ましてる。
源智様は、これら捕捉の追加で納得されたと思いたい。
捕捉を入れ込んだ下巻も今後に試みるべきかと思われる。
 
トットッと、ずらかるつもりが、
とんだ長居、どうかと思いつつ……
「法然旅」は、ひとまず、ここで終了としたい。
(阿賀)
Friday, March 29, 2013
 
 
 
 
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ドラゴン in the Sea 上「はじめに」

ドラゴン in the Sea 上 阿賀猥×中本道代×戸沢英土
ドラゴン in the Sea 上 阿賀猥×中本道代×戸沢英土JO5の流れを受け継ぎ、満を持して登場した『ドラゴン in the Sea 上』。
今回は、まえがきを全文公開いたします。
 
なぜタイトルが「ドラゴン」なのか。龍にも色々あるのに、なぜ「in the Sea」、海の中なのか。
ちょっと長めですが、ご一読頂ければ幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
はじめに


阿賀猥
 

その昔は神様といえば蛇ないし龍。
世界各地で祭られていたようだ。
稲作農耕の日本では、水の神様として龍神信仰が今も各地に点在、なにかとドラゴンはなじみ深いが、蛇ないし龍が王家の妻として登場しているのに注目した。
 
妻は妻でも刺身のツマのようではなく妙に大きい。
たとえば神武天皇の祖父山幸の妻、豊玉姫。
彼女の産屋が宮崎県の鵜戸神宮に残っているが、八尋(約十五メートル)もの巨大蛇であった。
海神ワタツミノミコトの娘で、出産後は子を置いて独り、海に帰っている。
その置き去りにされた子供、つまり神武の父、ウガヤフキアヘズもまた豊玉姫と同じく海神ワタツミノミコトの娘、玉依姫と結婚している。
おそらくは彼女もまた巨大蛇であったろう。
 
環太平洋ではカンボジア。
アンコールワットも王宮であると同時に巨大蛇ナーガの館。
巨大蛇を妻として毎夜その妻に仕えるという責務が王にあった。
恵みの雨を降らせるありがたい優しい龍ではない。
海を動かし陸を壊す強暴巨大なドラゴンの存在があり、この対策が国家的規模で最重要の課題としてあったのだろう。
海に従う、海を祭る、という形で王家との婚姻がなされたように推測される。
 
特に山幸は、龍宮からの帰還に際して玉手箱ならぬ潮満瓊(シオミツタマ)と潮涸瓊(シオヒノタマ)の二つを海神から貰い受けている。後者は海の水を引かせる働きをし、前者は海の水を溢れさせる働きをする。
まさに津波対策である。
先史時代、環太平洋地帯は今と同じく大津波のすさまじい惨禍を受けたことがあり、その記憶がこれらの土台にあるかと思われる。
 

本稿開始は七年前の二〇〇四年、思潮社小田久郎氏からの電話が発端。
私は当時の新聞記事、
 

「AV女優の志願者が急増している。
 それも旅行会社勤務の女性が多い。
 彼女たちは旅に出ようとしているのではないか?」

 
について、喋った記憶がある。
彼女たちは不特定多数に下半身を開くことで、普遍への道を探ろうとしているのではないか?
そういう目線から世界を見直すことができるのではないか?
そこから新しい広やかな世界へと抜けることが、できるかもしれない。
 
低いから見えないということはない。
低きに低き視点、それゆえにこそ開ける世界があるはずだ。
天をかけるドラゴンではない。
地の底をくねり、世間の塵芥の下、汚泥の中を転びながら、這いながらも、なおも生き続ける私たちの中のもう一つの私「ドラゴン」について、小田久郎氏に奇妙な私信を書き綴ったことがある。
 

前半は1章から3章、ヨーロッパの底の部分から、世界を見渡していく。
国富論がその基盤に抱え持つ長篇詩「ブンブン不平を鳴らす蜂の巣…」、エミリ・ブロンテが「嵐が丘」に隠蔽した奇怪な愛、そしてヒトラー。
雨樋の裏、教会の椅子の裏に彫り込まれた小さな豚の絵から、ホロコーストを追う。
 
後半は4章から7章。
法然、親鸞の思想を現代ロック、デビッド・ボウイ、マリリン・マンソンの歌詞との近似に注目、日本仏教の過激な起源を探る。
その起源、大乗仏教の元祖龍樹の見事な詩行「中論」、そしてそこを貫流するレンマの論理。
西洋ロゴスの論理を軽やかに切り崩していくレンマ、レンマは殺人鬼机竜之助をまた怪物エミリ・ブロンテを許容できるのか。
かくて最後に龍の論理。論理のすべてを許容するかに見えてあるときは一切を破砕する龍の論理。
言語を持たないもの、明確な姿をさえ持たないものたちの無念とその意思を抱え持つ龍の論理、つまりは大自然の意思、これらを感知できるのかどうか?
 

私たち対談者三名はかつての山幸のように、まずは海へと潜ることで作業を開始した。
廃棄された資料、無視された過去の事実を拾い起こし、探ることでドラゴンの意思を読み解こうとした。
キリストの愛、釈迦の明晰が覆う固い強固な地層を壊し、その下にあるものを見ようとした。
 
対談者はそれぞれ資料を持参。
相互に読み合わせながら作成、話題が多岐にわたったため、多くの専門分野の方々に点検を依頼した。
 
長野県の山中、昆虫を追う筑波大学研究員福井眞生子氏、同じく筑波大学物理学研究者、また現代企業最先端を生きる方々、仏教研究者の方々など、二十名以上の方々から大量の資料もいただき納得のいく補正をすることができた。
 
特に上巻は3章経済学を小林健吾氏に、
1,2章を梅原猛氏に点検を依頼、梅原氏には病気静養中にかかわらず、次々に未完成原稿を読破いただき
 

「過激だがものすごい面白さ、あなたはニーチェを思わせる」

 
など、嬉しいエールをいただいた。
ここに御礼を申し上げたい。
 
 
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