神的品格、吉田ゆき子詩集

『鼓膜の内外』吉田ゆき子 思潮社
3月30日、新潟から斉藤健一さんが吉田さん宅に来られるというので、私も出かけた。
斉藤さんは、気に入った詩集があると、作者を訪問される。詩の背景をじかに見たくなられるのだろう。

生憎の冬。庭木は殆ど花どころか葉もつけてないので、いかにもパッとしないのを気にして吉田さんは、あっちこっちうろうろ、裏庭やらゴミ置き場まで、いよいよパッとしないところへ。
「ああ、本当に、今はなにもありませんねえ」とため息。
じきにこの裏庭にも丹精された花々が咲き競うのだろうが今はなし。
いかにも「ぶきっちょ」な吉田さんらしい案内だ。
 

『鼓膜の内外』吉田ゆき子 思潮社
鼓膜の内外

問題の吉田詩集は「鼓膜の内外」。
以下は冒頭にある短詩

 


 
 神の手料理


          吉田ゆき子
 
臓物を火で炙った
お互いに
それを料理ととてもいえないが
わたしらはそれで
実をつけたのではないか
ぶきっちょな実であるが
 
生きることが
料理なんておこがましいが
わたしらは皿に盛られる
神の料理として

 

これだけが短いので、全文を書き写した。
どの詩編も不思議な静けさと暖かさを湛えて、けれどきっかりと30編が続く。
この毎日は私たちの日常のようで、実は神様の手料理、と視界をぱっと天の神様レベルまで、もっていって、しめくくる『神の手料理」、人の日常だのは、その程度のものでしかない、という意味あいもあるだろう。
だが、人の手を省かれて、機械だけで、大量に量産されるこのオートメーションの時代に、神様に手をかけてもらえるなんてすばらしいことではないだろうか?

どの日常も、さほどに輝くようなものでもなく、立派なもの、はないのだけれど、不思議に神様の手料理になっているのではないか?
神様が作られたような、尋常でないある品格を持った世界、それが白い小さな詩集の中から、1つ1つ、くっきりと確かに立ち上がってくる。

神的品格とでもいうのか、こういう品格を持ったものは、最近すくない。
かっては森鷗外。
どのページをめくってもめくっても、変哲もない静かさが続いて、結局どの作品も変わらないのだが、なぜか次から次に買い足して読み続けた。
友人にも鷗外ファンが多かった。
これがないと落ち着かない……と終始本と言えば鷗外だけ、読み続けていた人もいた。

実際の作者の日常は、そうそう静かなはずはない、鴎外にしろ吉田さんにしろ、動転し四苦八苦の毎日だってあっただろう。
 
 

木を伐る事に
なりました
 
わたしの 中に
ずっと 価値観 を
根深く 張って いたの ですが
今日 伐る 事になりました

 

こうして始まる。
その日常で、自分自身を根こそぎ、刈り取らざるを得ない何らかの挫折または大きな絶望があったのだろう。
短い区切りで、トツトツと続く、その区切り方に、多すぎる空白に、事の重大さが伺える。
だがその事の内容には、一切、ふれられないままに淡々と続き、以下で終わる。
 
 

さて植木職人のスコップは
頼もしく作業を始め
木はどっどっと
倒れたのでした

 

簡単なものではなかったのだ。
大事な大事な世界だったのだ。
一番大事なものだったのだ……。

タイトルは「木を伐ることに なりました」、見事なタイトル。
生涯でそうそう出あうことのない珠玉の詩集。
この浮薄な平成に、こういう詩集が誕生したのが奇跡のようにさえ思われる。
 
   ※引用は、「鼓膜の内外」(思潮社/¥2200)から。

法然旅(2)

自分の書いたものは、まず見ない。
当初は特にそう。
ページをめくりもしない。
めくりたくない、というより、めくることができないのだ。
 
対談者の中本道代さんもそうらしいが、
私の場合は、そこに魔のようなものを
閉じこめて来たような気がするのだ。
私の魔、ボウイの魔、エミリ・ブロンテの魔、そうして法然の魔……
犯罪者と同じ、やっと始末した。
早くずらかろう……後をも見ずに一目さんと今回も逃げるはずであった。
 
ところが今回はなぜかそれができない。
いちいち捕捉まで作り、その捕捉が又気に食わず、
いちいち捕捉に付箋をつけて、
梅原猛氏まで、問い合わせた。
果たしてこれでいいか、どうか等々。

程なく梅原氏から返事、と思って開けたら、
新刊「「葬られた王朝」。
次のページをめくったら梅原氏がセーター姿で例のニコニコ顔。
これでいい、これで進めということだな、と解釈して捕捉は終了することにした。
 
ちなみに、「葬られた王朝」は古代日本が舞台。
これまで、聖徳太子、柿本人麻呂について、通説を覆す論理を展開してきた梅原氏。
これに対して「誹謗、中傷、冷笑、黙殺が続いた」が、今ではこっちの方が通説になってきていると書かれている。
今回は、3度目の挑戦、古代歴史に挑んだもの。
アマテラスやスサノオの世界が、新たに古代からよみがえり、出雲を舞台にダイナミックに動き出している。
 
法然の場合も通説とおりとはいかない。
時は鎌倉時代。まず仏僧が今とは違う。
僧は僧でも僧兵が跋扈、高名な祖師たちも殆どが武家出身。
教理自体は穏便平和ながら、白刃、ぎらつかせて、カーッ、キーッと、切り結んでいるのが実状。
『ドラゴン6章』では、それぞれの教理も相互に激しく切り結ぶものとして解釈、今までとはやや異質の法然像になっている。

そもそものきっかけは、
明け方の4時の幻覚。
訪ねて来られたのはどなただったのか。
この方の意向で、法然部分を新たに追加したように思う。
だが、2月から3月、京都、岡山など法然ゆかりの寺を回ってみたが、どこにも似た方は見つけることができなかった。
結局、氷解したのは帰宅後。
法然の高弟、源智、うっかり見落としていたこの方の画像を梅原氏著作の中に発見。
見覚えがあった。
この方ならよく知っている、なぜかふと納得した。
 
800年の歳月を乗り越え、
はるか荒唐の地、千葉県までこられるとは!
いかにも奇怪な話ながら、源智という方は、そういう方ではなかろうか?
がっちりと、完璧に師、法然を守り、記録にとどめたい……この一念で、今も現世を歩いておられるような、気がする。
 
そろそろ4月、
今はもう明け方4時にたたき起こされることもなく、まぶしい朝日の中で目を覚ましてる。
源智様は、これら捕捉の追加で納得されたと思いたい。
捕捉を入れ込んだ下巻も今後に試みるべきかと思われる。
 
トットッと、ずらかるつもりが、
とんだ長居、どうかと思いつつ……
「法然旅」は、ひとまず、ここで終了としたい。
(阿賀)
Friday, March 29, 2013
 
 
 
 
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20世紀と殺人鬼(2)

sade

おそらくはサド、彼こそが、ヨーロッパ・ドラゴンが密かに隠しとおしてきた裏側、もしくは波間に沈めた尾っぽではなかったか?
サド発見をもって初めてヨーロッパ・ドラゴンは全容を現したのだ。
サド公爵の下に隠れ潜んでいた「嘘、悪、醜」の概念は、プリンス・モニーを得て、生き生きと胎動を開始、より巨大かつ強力なドラゴンとなって空へと浮上、空を泳ぎ始めたのだ。

あえて極論してみたい、むしろ真善美により近いものとして嘘悪醜の類を、置くべきもの、置かざるを得ないものではなかったか?
ホロコーストを思う時、防止策として、ふとそれを思う。

ドラゴン2章では、この連綿たる西欧哲学の具体化したものとしてナチス帝国をとらえ、その盟主ヒトラーが力説し、人々を魅了した「正義」という事象自体にも疑惑の目を向けている。正義とは何か?
ソクラテス以来、無傷のままに2500年を生き延びた真善美とは何なのか?

机上ではなく、実際の日常で、それらを他と分別して取り出せるのか?
真善美をそうでないものから取り出せるのかどうか。
愛の裏に死がはりついているように、善の裏には「悪」がはりついて、美の裏には「醜」がはりついて、そういう形で、同一のものとしてあるのではないだろうか?

私たちが、毎日の日常のなかで、「正義」を目ざすとどうするか?
すぐさま、それとは相反する殺害や抹殺の欲動が動き出すはずだ……いやまずは、それら「悪」が先にあるのかもしれない、
「悪」の発生と同時に私たちは、それらに善の衣装をつけ始め、こうして善への欲動が始動する……という流れではないか?
表裏一体のものとしての正義と殺害、また善と殺人があるのではないか?

ホロコーストとなると、ヒトラーという人物の特異性を言う場合が多いが、それにしては余りに多くの人が殺害に手を染めている。
正義への志向は、そのままユダヤ人殺害となって稼働したとみたほうがいい。

私たちの表面の意志とその裏にある実体。私たちはその実体を知ることができないままに、けれど結局はこの実体に引きずられて動いていく。
ドラゴンでは、発言者の自説はさておき、カタログ形式で自説に代わる各種の書物を引用紹介していくが、そのスタイルでいうなら、法然にいう「内心と外相」か?
『ドラゴン6章』に法然の選択集から引用している。

表向きの外面(外相)が善人なら、それは悪心を内部に隠したため、だから内側の心(内心)は、悪をいっぱい溜め込んでいる、との説。つまり善人なら腹の中は悪人。反対に悪人ならば裏側では善人となり、悪人は正機と論理が進む。

つまりこのあたり、悪人正機説の基盤となるかと思われるが、ここで問題。
悪人正機説は親鸞、それも親鸞の根本思想とされているもの。それを『ドラゴンintheSEA』では法然としている事への質問が多くあった。

「ドラゴン6章」、「親鸞は法然をひたすら崇拝して、法然の教えをまっすぐ追った人で、悪人正機説なども親鸞の説のようで、実は法然が言い出したこと。彼独自のものではないのです」、この部分だ。

悪人正機説と言えば、親鸞の弟子、唯円による「歎異抄」、「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」。
親鸞の言葉として記録され、親鸞思想の根本思想とされているもの。
だがこの同じ文言が、もっと早い時期に法然の言葉として「法然上人伝」に記録されているわけで、ここが発端。
こちらの作者は法然の高弟の中でも、法然最愛の弟子とされる源智。
梅原猛『法然の哀しみ』(小学館文庫)は、源智の書を見て、そのまま親鸞側が記録した、と推測している。その逆、弟子の言葉を先生が習う、ということはないので、この通りだろう。

歎異抄ではその解説、「たとへばひとを千人殺してんや……」のあたり。
こういう過激部分は親鸞ならではのもの。歎異抄によって、法然の悪人正機説が、命を得て現代に華々しく浮上したかと思われる。

千葉県佐貫町、神野寺には親鸞自身が滞在中に彫り上げたという親鸞像が残されているが、これはもうどこから見ても山賊の親分。目の玉ギョロリの親鸞で、いかにもいかにもこの面構えならではの発言と思えるのだが、そもそもの発端となる思念となるとどうだろうか、親鸞側の文書では、見つけることができなかった。

法然は逆。
先の選択集だけでなく、法語集にも悪人正機へとつながる言説は多い。

とはいえ、とんでもない教説である。悪人が正しい、悪人の方が正しいとなると、殺人鬼だの泥棒だのの方が正しい、となってしまう。
普通ではこういうセリフは、出てこないだろう。
両親をいわば悪人として惨殺された法然以外ではまず、発語されない言葉ではないだろうか。

なんとしても法然には悪人を成仏させる必要があった、悪人を「正機」とせねばならなかった……・法然とするならこれらすべてが無理なくおさまるのだ。
 
 
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知恩院

京都の法然関連の寺、知恩院と粟生光明寺を訪ねた。
知恩院は法然の高弟源智が建立、法然の遺骨を納めた廟がある。
源智は法然の高弟。
悪人正機説「善人なほもて往生す……」を法然発言として、記録した人。
歎異抄より、早い時期に書かれているので、おそらくはそれを見て唯円が書き写したかと思われるが、とにもかくにも、広大な寺であるのに驚いた。

知恩院

写真は山門、この上に上り詰めたところに法然の墓があるが、この山門、やたらに巨大でいかめしい。
なぜここまでに、いかめしいものを作ったのか、このようにして、がっしりと法然をまもろうとしたのか。

大雨。
粟生(あお)にある光明寺。これは熊谷蓮生の建立。
蓮生は元鎌倉武士、熊谷直実。これも又でかい。
他に金戒光明寺ほか、法然の遺骨を収める寺は多い。
京を追われた法然なのにこの墓の多さは、なんとしたことだろう。
京都中のこれでもかこれでもか、と法然の墓が広がる。

気がかりなことがあって、京都を訪ねた。
どの法然像もその人には似ていない。
法然はどこか丸っこくてがっしりタイプ。その人は細面。
女性的な体躯。法然像に似たものはない。
それならば誰だったのか?
 
 
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カラのミカン

igaの社屋は、海岸の高台にあって風あたりが強いので、風よけにチョコチョコと常緑のミカン類を植えてたら、去年から、どれもこれも盛大に実をつけて鈴なり。

お正月のお飾り用の小ミカンなどは、まだ延々と、なってる……

なんて思ったら、違った。

中身がそっくりカラ。

カラのミカン

外側の皮だけ器用に残ってるだけ。

そういえば、大きめの綺麗な鳥が、犬に追い立てられてここから飛び出してきたことがあったから、この鳥に食べられたのかな?
(阿賀)

悪人正機説は、親鸞ではなく法然

悪人正機説といえば、唯円の記録した歎異抄、「善人なおもて往生す。いわんや悪人おや」。
親鸞の発言として、これぞ親鸞の根本思想となっているが、これはどうもおかしい……。(阿賀猥)
 
 
 
 
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