中にロイ・リキテンスタインの巨大絵画を展示。

絵画作家、川瀬裕人氏は、その中の一点に見入っている。
リキテンスタインお馴染みの点々、印刷を拡大したときに現れる小さな丸い粒々の一点。

「手書きですねえ。1つ1つ、丁寧に描かれてるんですねえ」
なんと大量の点々であることか。
草間彌生の円も同じ。
同じ形、同じ大きさ。
あの羊達の様に、阿賀猥が語り、十亀が踊った朗読舞踏の子羊たちのように、同じ顔、同じ大きさの羊たち、
(同じでなければ、戦力にならない?)
(同じでなければ、統合もできず新個体を形成できない?)
同質の強固な塊としても個人たち。
同一の円。
例えばカボチャ。
小さな円、ないし小さな球体の一個の集積としてとらえる。
だからこの小さなものを一個ずつ愛情を込めて丁寧に描いていく。
小さなケナゲナものたち。
カボチャ1個、30万。
高い?
おそらくはいつか300万円、3000万円に跳ね上がるだろう……と思いながらやり過ごした。
どこかの展覧会で、昔見た見事に完璧に美しい草間彌生のカボチャ……
小さな粒々たちは群れ集い、大きな「虚」の魔物を形成する。
リキテンスタインのいかにもパッとしない男や女とか。
草間彌生のまさに神のように美しいカボチャとか。
ある時は魔物になり、またあるときは神になり、群れ集う私たち。
川瀬裕人夫人、支倉隆子の戯曲「洪水伝説」は、その群れ集い、
またあるときは離散する小さな粒々の私たちを描いていく。
白く透き通ったとても寂しい「虚のけもの」これが主役。
見事な脚本で、日本の「虚」を鮮やかに掴みとっていく。